―58―<ギリシアにおける中期ビザンティン聖堂の聖人装飾プログラム研 究 者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程ビザンティン聖堂壁画を記述する際、上部から下部へ概ね3層に分割されるのが常である。最上層にキリストや聖母子、その下にキリスト伝図像、最下層に聖人像が並べられ、神学的位階と建築的位階が対応させられる。上2層に関しては先行研究でもしばしば論じられてきた。最下層の聖人像は部分的に言及されることはあっても、それを主眼に置いた考察はなされてこなかった。本研究はその最下層を考察対象とし、聖堂装飾プログラム研究に未開拓の諸問題を照らし出すものである。より明快な議論のために、聖堂装飾プログラムが確立され、聖人信仰が隆盛した11・12世紀の聖堂をとりあげる。聖堂装飾に時代の動向はどのように反映されるのか。メノロギオン、シナクサリオンなどの制作が盛んであったことを鑑ると、聖人の選択と配置に典礼暦は強く作用したものと推察される。調査では様々な観点から多角的に聖人装飾プログラムを検討するが、特に典礼暦には注意を払いたい。初期(4−7世紀)の聖堂はほとんど現存せず、当時の配置に定型はない。しかし、本調査に示唆を与える作例としてテサロニキのアギオス・ゲオルギオス聖堂(5世紀)があげられよう。祭日の日付を記した銘文とともに数名の聖人が描かれており、聖人像と暦との関わりが伺われる。後期(13−15世紀)には玄関廊を1年間のメノロギオン図像が埋めつくす聖堂も登場する。初期と後期をつなぐ中期(9−12世紀)は、聖堂装飾プログラムの定型が確立した時期であり、後に続く発展の土壌を用意した時期である。典礼暦が果たした役割は大きいだろう。もっとも、装飾には典礼暦をはじめ、寄進者の個人的崇拝やその土地で特に崇敬された聖人など様々な要因が働いたものと考えられる。個々の要因を丹念に観察し、解読していきたい。これまで重視されてこなかった聖人像の検討は、聖堂装飾プログラム研究の裾野を広げることとなるだろう。聖堂に描かれたのはキリスト像やキリスト伝ばかりではない。聖人像を含めすべての壁画、そして建築がその聖堂の世界を完結させている。本研究をとおしてビザンティン聖堂装飾プログラムをより深く理解し、多種多様な問題を提起し、考察していきたい。海老原梨江
元のページ ../index.html#75