―60―>狩野光信様式の展開と歴史的位置付けに関する研究研 究 者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程狩野光信の研究は、園城寺勧学院客殿障壁画を光信筆とする墨書銘が大正14年(1925)に見出されたことに始まる。勧学院画の分析から、優美で技巧的かつ堅固な作風と認められている。そして文献史料や様式判断から他作例が探究されて桃山後期の時代様式と認識されるようになった。更に江戸時代前期狩野派の規範を打ち立てた探幽の様式は、これまで探幽自身の模索、祖父永徳の存在や父孝信の教育の影響がいわれてきたが、最近では光信の様式が介在していることもいわれるようになり、探幽次弟尚信への光信弟子興以の関与も指摘されるようになっている。近世前期の、狩野派によるやまと絵の進展として興味深い。光信様式の評価は実に高いが、しかし狩野派の光信時代から探幽時代への推移の様相や移行の要因は不明な点がなお多い。加えて光信様式は永徳とは異なる光信の資質から説かれることが多く、大空間との対峙を通して創られたと説かれる永徳様式のようには、時代様式としての成立要因が顧慮されているとはいい難い。時代を考慮した光信の史的位置としては豊臣から徳川へ移る時代に政権の御用を勤め上げた点が評価されており、作品からでなく、むしろ上層階級との接点を示す文献史料からであるようだ。本申請研究は、周辺画人に注目して光信様式の展開の諸相を探幽時代にまで跡付け、光信様式から探幽様式への推移・移行の要因を考察、提示し、もって探幽期との対比を通じて光信期狩野派を歴史的に位置付けたい。将来の、近世前期狩野派絵画の編年の基礎ともしたい。まず光信と、基準作や質の高い先行研究がある同時代の狩野派絵師たちを総合し、総体的時代様式としての光信様式を示す。これは同時に光信周辺絵師の個性を析出することで、各々の資質や作風の違いがより明瞭に現われてこよう。彼らの内の幾人かは探幽主導の時代にも活躍を続けるのであり、次いでこのような絵師たちを通して探幽時代への変遷を、画題にも目配りしながら追う。様式の問題は「どのように」ということだが、「なにを」という画題と密接であると認識している。どのように何を描いたかに留意することで、絵師の資質や単なる時代の好尚に止まらない、需要者の求めたものとして、社会的要因も含めた議論の材料を供することができるのではないだろうか。以上から狩野光信様式の多彩な展開と成因、作品に即した光信の史的位置を明示し得ると考える。三宅 秀和
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