鹿島美術研究 年報第23号
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注原『今治拾遺資料編近世一』(今治郷土史編さん委員会、32頁) 『天上法院殿御日記』(寛文十二年正月十八日)■楢崎宗重「土佐光起筆桜花楓樹図屏風」(『国華』789号1957年12月、393〜96頁)―67―江戸時代後期における絵手本観――鍬形B斎『略画式』の意義――構想:この研究の手順の中で、東福門院ゆかりの品を網羅して、今後の東福門院研究における基礎資料としたい。研 究 者:馬頭町広重美術館学芸員申請者は、寛政7年(1795)刊の鍬形A斎『略画式』を調査する過程で、見開きにさまざまな画題の図をちりばめたまるでカット集のようなその構成が、歴代の名画や流派に伝わる粉本を集大成したそれ以前の絵手本とは明らかに異なっていることを認識した。また、『略画式』の好評を受けて以降、『鳥獣略画式』(同9年刊)、『人物略画式』(同11年刊)、『山水略画式』(同12年刊)、『草花略画式』(文化10年[1813]刊)と、「略画式」を冠する一連の絵手本がA斎によって続刊されたこと、文化11年刊『北斎漫画』を『略画式』の真似事だと批判したA斎自身の証言、『略画式』以降多色摺の絵手本が一般化したとする当時の見解などを考慮すると、『略画式』がその後の絵手本に及ぼした影響は決して小さくなかったに違いない。さらには、A斎の絵手本は、全てA斎が浮世絵師からお抱え絵師となって以降の制作であるという、興味深い事実にも注目したい。絵手本については、すでに先学によりその全容を把握する試みがなされ、個々の絵手本の特徴や意義に関する論考も近年増えてきている。また、絵手本が絵画制作の際に参照されたことも、いくつもの作例により証明されている。しかし、江戸時代を通した絵手本出版の展開に関する考察は、まだ手薄だと言わねばならない。そのなかで申請者は、時代が下るにつれ絵手本の享受層が裾野を広げてゆく傾向に呼応するかのように、その制作者にも「画家」のみならず「浮世絵師」が台頭して来るという、絵手本出版の大きな流れを想定している。非常に重要な役割を果たした作品のひとつであろう『略画式』を絵手本出版の展開の中に位置づけることは、絵手本の展開の検討に大きく寄与する試みであると考える。さらには、江戸時代に絵画が大折井 貴恵

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