―70―永楽保全と中国陶磁代呉派を中心に多く制作されていた。呉派の画は主に文人間を中心に贈答されていたと言われるが、陸治の頃には文人間に留まらず幅広い交友関係での贈与があり、売画とまで言わずとも画で生計を立てていた文人画家が多かったことは事実である。名所を描いた実景図は人々に理解しやすく人気のあった画題であり、贈与の品となりやすく、文人による実景図について名所を訪れた際の記念・記録という絵はがき的な商品としての役目を指摘する先行研究もある。陸治の他の実景図では贈与に関する題跋がみられ、上述の研究に沿う作品もあるが、この「白岳紀遊図」は、旅の行程で訪れた場所をそれぞれ描き、その題跋は紀行文に終始し、贈与目的というよりは画家本人による旅の記録という印象が強い。ゆえにこの作品の制作背景、陸治の実景図に対する姿勢を考察することによって、明代社会における「実景図」の在り方、呉派画家にとって作画が余技か生業かがあいまいになる中、どのように立場のバランスを取っていたのか、彼らの置かれた状況を具体的に伺うことができると考えている。現在、陸治筆「白岳紀遊図」全図を紹介している資料が存在せず、図録『有鄰館精華』に2図掲載されるのみであり、文献の記録もないことから、第一に全図を実見、調査を行いたい。また同時代の呉派画家である銭穀(1508〜?)作とされる作品が3点著録され、台北・国立故宮博物院には銭穀筆「白岳遊図」(1567年)が所蔵されていることから、真偽の問題を考慮に入れつつ銭穀の作品も調査、陸治作品との比較を行う。加えて作品に描かれた実景を可能な限り訪れ、実景との比較も行い、さらに白岳を含む斎雲山は道教、仏教に関係が深い山であることから、当時の紀行文、地方志などから文人と宗教との関わり、人々にとっての「白岳」なども探るつもりである。研 究 者:静嘉堂文庫美術館学芸員永楽保全の「写し物」作品に焦点をあて、本格的な編年作業と比較考察をともに行なう研究は、管見の限り皆無といえる。本研究の目的は、保全の作陶を幕末陶工が行なった中国陶磁模倣の一とみなす評価を検証し、精緻な技巧をもとに展開された保全の独自性・創造性を抽出することにある。初期から晩年まで作り続けられていた祥瑞や金襴手の作風を通観することで、「写し物」の技法・装飾の変遷を確認することで、山田 正樹
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