(1973)により、17世紀オランダ風俗画の流行を背景として、そこからの図像の転用―71―シャルダン研究――そのコレクターをめぐって――技法的側面のみに偏向していた保全の中国陶磁写しの作品群に対し積極的な評価を行なう。従来、保全の中国陶磁の「写し物」制作は、「文人陶工」として知られる奥田穎川や木米などの作陶活動と一括して、中国趣味の一環として捉えられる傾向があった。また様々な中国陶磁の技法を倣いながらも本歌の器種・器形と全く異なる作品を多く手がけ、独自の作風を強くあらわす穎川や木米などに比べ、精緻な技法を駆使し本歌に迫真する「写し」を制作した保全は、模倣の精巧さのみが強調されてきた。本研究の意義は、中国陶磁との比較を通じて、文人陶工との中国陶磁受容の在り方の違いを示し、保全研究の視点を見直すことにある。穎川・木米などの文人陶工は、文人趣味・煎茶家の間で流通し賞翫される煎茶道具・文房具中心の制作を行なっていた。一方、保全の作陶は、養父了全の代から千家などに支えられた茶道具制作を中心としており、一貫して高級な茶陶の焼造が主体をなしていた。すなわち、写す対象となる「オリジナル」、そして写し物作品の受容のされ方が全く異なるのである。日本で中国陶磁は古くから受容されてきたが、特に桃山〜江戸前期に輸入された明末清初の陶磁は、日本陶磁史に新たな展開を促すほどの大きな影響を与えている。幕末の中国陶磁の受容の諸相を探ることは、近世から現代につながる日本の陶磁器生産に底流する美意識を解明する端緒となるものである。また本研究は、漠然と模倣品やコピーのようにとらえられてきた京焼の「写し物」再評価の契機となると考える。研 究 者:東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程パリをほとんど離れることのなかったシャルダンの画業は、大きく3つの時期に区分される。1720年代から30年代にかけての前期静物画期、40年代にかけての風俗画期、晩年までの後期静物画期である。前期は狩猟画や厨房画が中心となり、フランドルの絵画伝統が示唆される一方、申請者の分析によれば、モティーフを載せたテーブル面が傾くなど造形の不規則性が見て取れる。風俗画については、スヌープ=リツマが詳細に明らかとなった。次に後期静物画は、果物や器物が中心モティーフとなり、造形面では背景の占める面積が大幅に増大し、水平感の強い構図、また細部を省略し多田美穂子
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