鹿島美術研究 年報第23号
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―74―H近代日本におけるターナー受容について使」を取りあげ、「絵画作品に現れた異文化」の問題を考えていきたい。日韓両国の絵画に表された朝鮮通信使を精細に検討することによって、両国の価値観や異民族観を把握し、文化交流と比較文化の視点から絵画作品を解読していきたい。同一の対象を異なる文化がどのように理解していたかを調査することで、当時の文化交流の歴史的試みを明らかにできればと思う。朝鮮通信使を主題とする芸術作品については、いまだそれとして認められていないものもある。また浮世絵などにおいてもしばしば朝鮮通信使を描く作品が確認されるが、朝鮮通信使絵画集成のような形ではまとめられていない。それゆえ同主題をまとめる正確なカタログの作成が急がれる。この作成を通しても美術史学に貢献できればと考える。従来、朝鮮通信使関連の絵画は、朝鮮通信使に対する研究において、参考資料としての役割を果たしてきた。つまり、朝鮮通信使の行程やその規模を把握するための、また当時の風俗を明らかにするための資料であった。一方、美術史的な研究において日韓の絵画作品を比較する場合には、主に様式の違いが取りあげられてきた。申請者は本研究で、両国の絵画様式の違いのみならず、朝鮮通信使という同じ対象を見て描いた日本と朝鮮の視点の違いまでも明らかにし、絵画作品の比較・分析を通して両国が持つ価値観の違いをも明らかにしたい。研 究 者:郡山市立美術館 学芸員日本近代美術と欧米の美術との影響関係でいえば、ミレーやコロー、クールベといった自然主義の画家たちから印象主義の画家たち、つまりフランス19世紀の画家たちでのみ、日本の風景画の成り立ちが語られているというのが現状である。しかし、高橋由一は、イギリス人のチャールズ・ワーグマンに師事し、日本で最初に本格的な西洋画を描いたとされる。西洋画を学ぶために日本人で最初に渡航した国沢新九郎は、その留学先をイギリスに決めた。そして日本における明治以降の水彩画ブームの勃興は、イースト、ヴァーレー・ジュニア、パーソンズというイギリス人水彩画家の相次ぐ来日に端を発していた。加えて、明治時代の美術雑誌においては、イギリス美術が非常に多く紹介されていた。以上を考えると、日本の近代美術の発展に菅野 洋人

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