−11世紀スペイン写本の転換−」―14―境のシンボルともいうべき東海三山や菎崙山への言及が減少し、中国領域内の有名な名山や名水が主流となっていくことが白日のもとに示された。つまりより一層身近な環境における神仙譚が、関心を集めるようになったのである。中唐以降、神仙山水に代わって詩に多く詠まれるようになったのが樹石画で、晩唐に至るまで数多くの詩が遺されていることが証明された。これらは『歴代名画記』の記述を裏づける結果ともなった。広大な空間を表現する神仙山水に比べれば、描写がより簡潔であり、制作や贈答が行ないやすかったため、詩人たちの日常生活に浸透していったのである。しかも水墨技法に言及する詩が少なくない。着色画に比べより即興性を発揮できる水墨技法が、そのような樹石画にふさわしい技法であったという結論も、説得力に満ちたものであった。樹石画の重要な主題として松が挙げられるのだが、この厳しい寒さに耐えて緑を失わない植物が、この時期科挙によって生まれてくる士大夫に好まれやすい象徴性を有していたという指摘も興味深かった。以上、本年度鹿島美術財団賞のうち、日本東洋に関するもっともすぐれた業績として、竹浪遠氏の「唐代山水画の主題に関する研究」が選考された所以である。また、財団賞につぐ優秀者として松島仁氏の「寛文期における〈歴史画〉の誕生−楠公図を中心に−」が選ばれた。松島氏は寛文期を境に出現した新しい絵画ジャンルである〈歴史画〉を考察するにあたり、このころから盛んに制作されるようになる楠公図、つまり南北朝時代の南朝方武将、楠正成を主題とする絵画を取り上げた。そして文献資料中に確認できる楠公図と着賛者、および楠公図諸本を詳しく検討した。その社会的背景として、大規模な修史事業に喚起された歴史意識の醸成、武家における『理尽鈔』講釈の流行と楠公顕彰ムードの高揚、武家の政治思想である儒学・兵学の確立と武家中心史観の形成が明らかにされた。近代における楠公図にまで目配りを施した点も、展望の豊かさを印象づけた。久米順子「サン・ミリャン・デ・ラ・コゴーリャ修道院スクリプトリウム研究久米氏の研究は中世スペインにおいて、とりわけ重要な役割を果たした同修道院のスクリプトリウムに焦点を絞り、10世紀末から12世紀初めにかけての写本制作の実態を内容(典礼)、書体、図像、挿絵様式という4視点から考察した意欲的な論
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