―18―「霜雪」、「歳寒」、「寒色」などの語で形容されることが多く、『論語』などにみられる記』などに語られた畢宏、韋偃、張#らの樹石画家の活躍と符号している。ほとんどが松に関するものであり、この画題が松石図を中心に展開したことを示している。寒さに耐えて緑を保つ高節のイメージに基づいている。具体的な形状としては、枝が折れ幹の裂けた古松の姿に言及することが多い。西晋の左思「詠史詩」が、門閥貴族の世における寒士の比喩とした、「澗底(谷底)の松」も頻出のイメージである。これらは、松石図を鑑賞した詩人の多くが文人士夫層であることにもよるが、現存作例の表現にも結びつく面が指摘できる。僧侶や道士が制作、鑑賞に関わっている例も多い。松は長生の象徴であり、仙薬としても服用された。仏教についても『高僧伝』、『続高僧伝』、『宋高僧伝』を通覧したところ、寺院に植えるのにふさわしい樹木であり、修行の場ともなっていたことが読み取れる。現存作品では、墓壁画、敦煌壁画、正倉院の絵画・工芸に松が散見され、それらを整理することで様式変遷にも見通しが得られる。墓壁画では、燕妃墓(671年)、懿徳太子墓(706年)、節愍太子墓(710年)など初唐中期から後期の例により、ある程度描法に幅を持ちながら、徐々に描写密度や再現性を高めていったことがうかがえる。敦煌では、莫高窟第320窟「観経変相」(盛唐)、楡林窟第25窟「弥勒経変」(中唐)などの変相図中に描かれるのが注目される。特に莫高窟第148窟「天請問経変」(776年)は、描写面積が大きく、枝の構成も複雑で、盛唐後期から中唐前期にかけての樹石画発達の影響を見ることができる。正倉院では、「樹下囲碁図(桑木阮咸捍撥)」、「狩猟宴楽図(紫檀木画槽琵琶捍撥)」など多数の例が挙げられ、盛唐頃の種々の描法を伝える。中でも「密陀絵盆」に描かれるものは、山水樹石図としての性格を示す希少な例である。中唐後半から晩唐にかけては遺例に恵まれないが、続く五代〜宋初の作品が参考となる。華北においては五代・王処直墓壁画(924年)などには依然として唐風の笠状の葉の表現が見られるが、宋初の李成以降、放射状(車輪状)に変化していく。一方、江南では巨然の伝称作品に見られるように笠状の表現が存続し、元・明の文人画にも踏襲される。笠状の松葉は宋以後の復古的な青緑山水や我が国の大和絵系の作品にも受け継がれており、それらも唐以降の伝統を理解する上で参考となる。以上、題画詩および参考作例によって知られる情報は、単に画論の記述を裏付ける
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