鹿島美術研究 年報第24号
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―21―公図に着目し、寛文期絵画の新傾向について考えていく。楠公図こそは、将軍のイメージテクノクラート・狩野派の筆によって創出され再生産された太平の世のあるべく支配者像技術官僚を、相対峙し激しく拮抗しながらも密接に関連し合う新しい政治思想の両極−儒学と兵学の言説で補強した、きわめてイデオロギッシュな絵画、換言すれば視覚化された政治思想であったからである。発表では当時の政治思想の担い手−イデオローグでもあった儒学者/兵学者の詩文集に収められた着賛資料や戦前期の売立目録中の画像資料も参照しつつ、今では多くが失われた楠公図を復元し、寛文〜元祿期における楠公図盛行の背景について、本来的には武士の占領・統治する〈兵営国家〉であった徳川日本の政治思想や歴史観を合わせ考えながら検証していく。「複製版画と批評−ジュリオ・サヌート《アポロとマルシュアス》の場合−」発表者:国立西洋美術館 研究員 渡 辺 晋 輔ティーフは、原画の本来の意味とはまるで異質なもので、版画の中で目立っている。サヌートはなぜこれらのモティーフを「複製」に付け加えたのだろうか。ヴェネツィアのモティーフについては、この版画の被献呈者であるフェッラーラ公アルフォンソ2世の称揚を意図したものであることを指摘する。このモティーフの前景に描かれた(原画にも登場する)ミダス王の床屋およびその口許から生える葦は、有名な「王様の耳はロバの耳」の逸話を表しているが、それと関連することによって、ヴェネツィアのモティーフは、ヴェネツィアにおけるアルフォンソ2世の名声を逆説的に表しているだろう。ラファエッロのモティーフは、やはり前景に描かれたアポロのモティーフと関連しヴェネツィアの版画家ジュリオ・サヌートが1562年に制作したエングレーヴィング《アポロとマルシュアス》は、現在エルミタージュ美術館に所蔵されるブロンズィーノ(サヌートはコレッジョと勘違いしていた)の油彩の複製版画であるが、そこには原作にはないモティーフがいくつも描かれている。中でもヴェネツィアの町のモティーフと、バチカン宮殿署名の間にあるラファエッロの壁画《パルナッソス》から引用したモ

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