鹿島美術研究 年報第24号
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―35―足を運んだ。だが、発見から数年後、天龍山石窟は大規模な盗掘を被り、戦後になるとわが国の研究者による発表は、数える程度に減少した。一方、中国側は天龍山石窟に対する関心を徐々に高め、1961年には国家重点文物保護区に指定、太原市においても交通整備や石窟の重修事業等に力を入れ始めた。また、中国側の研究者による積極的な発表も、ここ数年目立ってきている。わが国においても、天龍山石窟は一定の評価がされているとはいえ、石窟及び彫刻作品を中心に取り上げた研究発表が乏しいことは残念なことである。天龍山石窟に造顕された優秀な彫刻群は、もっと認められてよいものだと考えている。しかも、わが国の奈良・平安初期の仏教彫刻を考える上で、決して無視できない存在ということができよう。なお、戦前の盗掘について、詳細は明らかではないが、日本の美術商が大きく関与したといわれており、中国側ではかなり批判的にみている傾向にある。実際、世界中に散在している天龍山石窟の彫像のうち、日本国内で所蔵する割合は、比較的高いと思われる。一方、盗掘以前の石窟を撮影した、最初の本格的な写真集『天龍山石窟』(金尾文淵堂、1922年)は、わが国の発行で、天龍山石窟研究においては欠くことのできない貴重な資料となっている。石窟発見が日本人であることも含め、わが国と天龍山石窟の強い結びつきを感じ得ずにはいられない。以上の点を踏まえ、本研究では、天龍山石窟唐代窟を中心に考察した上で、中国唐代仏教彫刻における本石窟の作品としての意義を再確認し、さらには天龍山石窟研究の発展に寄与することを目的とする。研 究 者:成城大学大学院 文学研究科 博士課程後期  金 澤 清 恵これまでになされたモーリス・ドニの研究を概観すると、1990年代初頭までの散発的な研究は、1994年のリヨン美術館での大回顧展をきっかけに総体的な研究から個々の作品研究へと焦点は移行し本格化している。しかし、それはまだ発展途上にある。本研究は、これまで看過されがちであったドニの後期芸術を再評価するために、この時代の基礎資料を収集・調査・検証するとともに、同時期フランスの複雑な社会状況に⑥ モーリス・ドニ(1870−1943)の図像表現 ―ジャンヌ・ダルク像を巡って―

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