鹿島美術研究 年報第24号
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―36―「ジャンヌ・ダルク」の図像について、ドニが何を考え、何を見て、そしてどのように⑦「構造社」研究 ―帝展改組に伴う分裂から解散まで―照らし合わせて検証し、フランス近代美術史のなかでドニの位置を明らかにしようとするものである。本研究はこれを実践するために、まず現地においてまず作品調査を行う。作品の状態、作品の置かれた状況、設置状態などを含め、作品自体の調査を行い、それにより、写真や図版では確認できない作品の特徴について特記するものとする。次に一次資料の調査を詳細に行う。さらに、ドニの後期作品において、最も重要な主題と目されるそれら図像を作り上げていったかを、先行する図像研究を参照しながら明らかにする。これまで詳細な図像研究、社会史学的アプローチ、とりわけナショナリスムとの関連でドニの作品は捉えられておらず、その点において独創的であるといえよう。そして、当時の社会状況、すなわちソシアリスムとナショナリスムの対立という大きな問題をドニがどう考え、どう関わり、さらには芸術作品にどう昇華させていったかを系統立てて検証し、ドニの後期芸術の美術史における位置づけを社会的枠組みから明らかにするものである。さらにはマネ以降のフランス近代美術の先駆けとなった画家とドニの関係や近代美術における図像表現の多様性についても指摘し、それによりフランス近代美術史における新たなドニの位置づけを提言しようとするものである。研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士課程  齊 藤 祐 子「構造社」は、大正15年に斉藤素巌(1889−1974)と日名子実三(1893−1945)により組織され、彫刻を主とした公募美術団体として昭和19年まで活動した。従来の彫刻観にとらわれず、建築や工芸などの芸術領域との接点を積極的に求めたその創作活動は、日本近代彫刻史研究の観点から興味深いばかりでなく、諸芸術と関わる点で、日本近代美術史研究の一環としても重要である。これまで、同会の存在はほとんど知られていなかったが、平成17年宇都宮美術館を中心に開催された「昭和初期彫刻の鬼才たち展」は、昭和初年の活動に焦点を絞っているものの、初めて同会の重要性に光をあてた画期的な展覧会だった。同展の開催にあたっては申請者も初期の調査段階から加わり、その経験と自分なりの研究成果を修士論文にまとめ、「構造社」の昭和10年までの動向を跡づけた。

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