鹿島美術研究 年報第24号
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―37―「構造社」の存在が認知されはじめた現在、未研究のまま残された同会の昭和10年以降の活動を明らかにすることは、急務の課題と言える。各会員の個別的研究についても同様である。団体を主宰した斉藤素巌を例に挙げれば、昭和10年以降、記念碑の分野で成果を残した他、官展審査委員をはじめ、全日本彫刻家連盟、日本美術報国会などに参加し、雑誌『日本彫塑』の刊行に尽力するなど、作家論の観点からも検討すべき点は多い。本研究の課題である以上の問題は、同会を美術史上に位置づけるためには欠かせず、現在取り組んでいる、修士論文を発展させた「構造社」をテーマとした博士論文においても重要な位置を占めている。本研究では、前述した「構造社」に関する基礎的研究の充実を図るとともに、同会と関わりの深い諸団体の動向、並びに同会の周辺にあって、新しい創作活動に取り組んでいた同時代の美術家との交流や影響関係についても研究を進める。一連の研究により、彫刻と諸芸術の関係、彫刻と社会の関係などを通して、立体造形の可能性が模索された、昭和前期の彫刻界の新たな一面が浮き彫りにされ、今後の日本近代彫刻史研究の進展に繋がる、新資料と新しい視点を提供できるものと考える。―ジュンナル石窟における建築様式の展開を中心に―研 究 者:関西大学大学院 文学研究科 博士後期課程  豊 山 亜 希インド国内に約900窟が確認される仏教石窟は、中央アジア、中国から日本に至る仏教の北漸経路において、文化的・思想的規範の造形的媒体として大きく貢献したことが各地の遺跡から窺われます。本研究は、日本を含む汎アジア文化圏の枠組における、仏教美術・建築の示唆の重要性を念頭に置き、インドの石窟寺院を通して初期仏教文化の消長過程を復元し、アジア地域の基層文化の形成について根本的理解を図るものです。インドの仏教石窟は19世紀の発見以来、今日まで活発に研究されてきました。先行研究の関心は一部の造営例に残る壁画や彫刻に偏向し、窟総数の90%以上を占める簡素な初期造営例については、十分な基礎資料すら整備されていません。しかしその数的優位性を考えれば、これらを詳細に分析し、その歴史的意義を再検討する必要性は明らかです。⑧ 西インド前期仏教石窟の消長過程に関する研究

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