鹿島美術研究 年報第24号
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―42―⑬ 生人形師・山本福松研究 その生涯と作品―菊人形制作における人形師の役割を中心に―研 究 者:文京ふるさと歴史館 学芸員  川 口 明 代本調査研究の第一の目的は、生人形の代表的作家である初代・山本福松の人物研究を進展させることにある。その生涯や業績・作品を詳細に調査する。第二には、山本福松が関わった仕事のなかでも、特に菊人形に注目し、これまで知られてこなかった制作・興行における人形師の役割、どのような構想の過程(テーマ設定)を経たのか、興行主との関わり方、対価、技法はどのようなものだったのか、下絵や成果としての人形(頭、手足)=山本福松作品の特徴やその評価を明らかにすることを目的とする。また生人形は、リアリズムを求める民衆の欲求に呼応し、大人気を博した明治の代表的な民衆娯楽であるとともに、近代的な「美術」という概念が分化する以前のいわば民衆芸術であり、その混沌の渦中にあったのが人形師たちである。高村光雲も影響を受け、松本喜三郎を絶賛したことも知られる。生人形師は職人である一方、究極のリアリズムを生み出す美意識を持った芸術家でもあった。その二面性を対比することで、現在までの「美術」の観念からは取りこぼされてきた明治時代の民衆芸術について考察を加えることを第三の目的とする。菊人形は明治時代の団子坂(現、東京都文京区千駄木)が主たる開催地で、秋の風物詩として人々が群集した。興行主はその地域に多くあった植木屋で、また同じく団子坂にあった不同舎の画家たちが背景画を描いたこともあり、夏目漱石の小説『三四郎』などの文学作品にもその様子が描写され、地域の歴史文化としても特筆すべきものがある。また戦争や天災など当時ニュースとなった事象・事件にテーマ取材しており、社会の動きとも密接な関わりを持っていた。こうした菊人形と人形師・山本福松の関わりをひもとくことは、美術史研究のみならず、娯楽史、世相史、地域社会史にも繋がる研究として意義がある。人形師一個人の研究に終始せず、広がりを持つテーマとして多角的に取り組んでいきたい。

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