―48―れる1920年代、非現実的な抽象を制作する1930年代以降の四つの時期に分類できる。彼の活動は、エズラ・パウンドやT・E・ヒューム、ジェイコブ・エプスタインらとの交流から、イマジズムとの関連で文学的側面から語られてきた。その一方で、とくに肖像画においては、形態の構造が意識され、入念に選ばれた線が引かれている。線という要素は、同時代の英国の美術批評家ロジャー・フライによっても重視されていた。申請者は、このルイスの作品の構造上の特徴に注目し、ヴォーティシズム期でさえ、それが肖像画や他の具象画と同じ特徴を有していること、それゆえ他の西欧諸国やアメリカで展開されるような完全な抽象には至らなかったと指摘したい。1915年に唯一開催された「ヴォーティシズム」展と、それに前後するルイスが関係した展覧会、例えば1912年に開かれ彼が「立体−未来派」風のイラストレーションと三点の油彩画を出展した第二回ポスト印象派展、1921年に開催された「テュロスと肖像画」展に出展された作例を分析する。それによってルイスの造形理念を明らかにするだけでなく、上記の活動から浮かび上がるルイスのモダニズム美術における特異な位置を際立たせたい。そして最終的には、申請者がこれまで行ってきたブルームズベリー・グループの造形作品と合わせて、他の欧米諸国とは区別される英国モダニズム美術運動の全容を解き明かすことを本調査研究の目的とする。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 中 安 真 理申請者はこれまでの研究により次の内容を明らかにしてきた。即ち、仏教建築を荘隆寺五重塔、法観寺五重塔、比叡山延暦寺東塔の講堂・四王院の軒下四隅も箜篌で荘厳されていたことが文献から知られ、近世まで存在したものとしては、石清水八幡宮寺宝塔院(琴塔)の例が挙げられる。弦楽器による建築の荘厳の淵源は中国に求める朝の帰依を受けた密教僧、不空三蔵(705〜774)が最晩年に造営に着手した大興善寺翻経院の文殊閣も、風箏で荘厳されていたことが『代宗朝贈司空大弁正広智三蔵和上表制集』(巻第五)に記されており、804年に入唐した空海が密教の中心寺院であった大興善寺を訪れ、実際にこの荘厳を目にした可能性も否定できまい。その後、帰朝しくご厳する弦楽器は、古くは箜篌ふうそうことができ、彼の地では風箏と呼ばれており、中世においては高野山大塔のほか、法と呼ばれており、唐代や宋代の詩にも詠まれている。唐⑳ 高野山根本大塔の外部荘厳に関する研究
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