鹿島美術研究 年報第24号
66/100

(ICTM)第37回国際大会の音楽図像学の分科会における発表で、既に国際的評価を得―49―7ティントレット絵画と社会が期待した表現形式「構想」た空海が高野山開創にあたり最初に建立に着手したのは大塔で、伽藍構想の中で最も重点を置いていた。大塔は金胎不二の密厳浄土であり、かつ絶対仏大日如来そのものとされ、塔内に入ることはつまり即身成仏を意味する。こうした性格をもつ大塔の建造形式や荘厳が、後世の密教寺院建築に大きな影響を与えたことは充分考えられる。また、高野山は歴史的に歌舞音曲を禁じてきた場所であるが、大塔に弦楽器による荘厳が許されたのは、中空に懸かり風で音を発する弦楽器が、ひとりでに鳴る密厳浄土の楽音を体現しているためと推察され、この点より多くの資料的裏付けをしたい。申請者のこれまでの研究は、2004年に中国福建省で開催された国際伝統音楽学会ている。特に、音楽図像学は日本ではまだ歴史が浅く、この分野での研究の発展にも寄与できると確信するものである。また、本年9月に高野山大学で開催された高野山国際密教学術大会上、大塔に関する試験的発表を行い、真言密教の研究者から反響並びに貴重な示唆を得ており、研究のより一層の深化が期待できる。研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期  武 井   敏本調査研究で、とくに注目するのは、1565年に制作された《磔刑》(聖ロクス同信会館、ヴェネツィア)になされた署名である。ここには、「1565年、優れたるジロラモ・ロータがグァルディアンの任にあるとき、会員であるヤコポ・ティントレットが描けり[FACIEBAT]」と、古代の画家アペレスになぞらえた、ティントレットの自負を読み取ることができるからである。ちょうどこの頃、彼は画歴のターニング・ポイントにいた。というのも、1566年にはアカデミア・デッラルテ・ディ・ディセーニョの会員となり、ヴァザーリの『美術家列伝』第一版(1550年)には取り挙げられなかったが、第二版(1568年)に取り挙げられるなど、画家としての名声をあげ、社会的な地歩を確立していたと考えられるからである。従って、1565年までのティントレットの制作活動に焦点を当て、ティントレット絵画と美術理論から抽出した芸術家に期待された表現形式とのすり合わせを試みる。そして、この照応関係を年代順に整理し、古代の画聖アペレスに比肩するにふさわしい、

元のページ  ../index.html#66

このブックを見る