鹿島美術研究 年報第24号
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―50―8日本プロレタリア美術運動の影響と受容関係に関する調査研究ら1930年代前半にかけて、政治と美術の境界線上で繰り広げられた運動である。1930「意義・価値」芸術家としての技量を修得していったプロセスを明らかにする、というのが本調査研究の構想である。本研究で期待される成果①は、ルネサンス期、そしてとりわけ芸術の手法(マニエラ)に特化したマニエリスム期の芸術動向を研究する上での一つの基礎となるはずである。これまで芸術作品と美術理論の相関関係については数多くの研究がなされてきた。しかし、芸術家に期待された表現形式のリスト化は未だなされていないと思われるからである。したがって、本研究調査はそのケーススタディとなると思われる。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  喜 夛 孝 臣プロレタリア美術運動とは、プロレタリア文化運動の一翼を担い、1920年代後半か年の『アトリヱ』誌上に「プロレタリア美術の研究と批判」と題する特集が組まれたことからも明らかなように、昭和前期には、美術界の注目を集めたプロレタリア美術であるが、当時の非合法組織である共産党とのつながりによって、国家的弾圧の対象となり、1934年には解体した。こうした経緯から、一部の共産主義系もしくは運動関係者による研究を除き、美術史研究上では批判的に言及されるのみであった。しかし近年、戦争美術研究の進展により美術と政治の関係についての考察が深まり、また五十殿利治氏らによって新興美術運動の研究がすすみ、新興美術運動とメンバーの共通するプロレタリア美術運動にも徐々に関心が寄せられるようになってきた。2000年には、市立小樽美術館にて展覧会「前衛と反骨のダイナミズム〜大正アヴァンギャルドからプロレタリア美術へ」が開催され、その後もプロレタリア美術運動をテーマとした展覧会が幾つか開かれており、戦前期の日本における共産主義の政治的価値のみにとどまらないプロレタリア美術への視点が確保されつつある。とは言え、いまだ美術理論を中心とした言説を追う運動史や、個々の作家研究しかなされていないのが現状である。プロレタリア美術運動は、美術と社会の関わりを主体的にとらえ、資本主義・帝国

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