―55―ドゥッチョの『マエスタ』―物語表現に関する考察―していた事実は従来から指摘されてきた。しかし、ファシズム勢力が政権を獲得してから崩壊するまでの「20年」の間にも存続し続けた未来派が、ファシズム政権下において本格化した海外侵出の動きの中で、自身の造形表現をどのように変容させたか、またファシズム期の植民地活動を支えた「帝国意識」の形成とどのように関与したかについては、いまだに明らかにされていない。申請者は、植民地主義への着目によって、ファシズム政権期の芸術表現の本質に対して考察を深めることが出来ると考えている。研 究 者:東京芸術大学大学院 美術研究科 博士課程 吉 澤 早 苗ドゥッチョの祭壇画『マエスタ』の説話サイクルは、観者が画面に描かれた個々のモティーフを、物語テキストに基づき概念的に再構成しながら読み解く、という中世の表現形式を大きく逸脱するものではない。けれども、イリュージョニズムの導入により、出来事の連続的な経過を観者の目の前に具体化しようとするドゥッチョの試みは、空間・時間の解釈の点で旧来の物語絵画とは明らかに異なっている。しかし、ドゥッチョの芸術は革新的傾向を示す一方で、ドゥェチェント以来の「マニエラ・グレカ」の伝統と分かちがたく結びついている。ジオットと並ぶ絵画空間の創造者としてのドゥッチョの評価は、E. パノフスキー以来定着しているものの、新旧の要素をあわせ持つ『マエスタ』の複雑な特質は、十分整理されているとは言いがたい。これまでの様式研究では、『マエスタ』の物語サイクルの中でも、画家本人が直接従事したと推測されるキリストの受難伝等、一部の場面が主な考察の対象となり、徒弟たちの手に帰される復活後のサイクル等はあまり省みられてこなかった。だが、ドゥッチョ芸術の全体像を把握するには、『マエスタ』のサイクルの全てを画家の物語表現のレパートリーとして受け入れる必要があるだろう。ドゥッチョの物語絵画については、複数の作品が残る聖母像と違い、帰属の確かなものは最晩年の『マエスタ』だけであり、画家の芸術形成の過程を追うのが難しい。しかし、祭壇画のサイクルに見る多様な表現様式を体系的に研究することで、ドゥッチョ芸術の成り立ちについてより明確な理解が得られるのではないかと考える。以上の理由から、本調査研究では、『マエスタ』のキリスト伝・マリア伝の全場面を
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