―59―<室町期の障屏画における“和漢混淆”る。これらの画題は山東省の同時代の画像石にも確認されるが、同様に儒教的範疇におさまる主題として解釈されている。しかし、四川石闕にみる賢人たちの造形表現に注目するならば、これまで指摘されていない儒教系図像の地域的な受容形態を提起することができるのではないか。漢代の神仙は、肩から羽を生やす「羽人表現」を定型とする。四川石闕には、そのような神仙の姿をもつ儒教の賢人を見出すことができる。彼らは仙界に住む西王母や瑞獣と混在して描かれ、仙界の住人であるかのような位置を占めている。この点に着目するならば、彼らは単なる儒教の賢人としての範疇を脱した存在であり、忠孝の実践により天に嘉され、仙界へと至る資格を与えられた存在として受容されていた可能性があろう。すなわち、造営者たちは亡き一族のための石闕造営という孝の実践を通して、自らを過去の賢人になぞらえ、彼らに追随することにより登仙を願っていたことが想定されるのである。四川は他地域からなかば隔絶された地勢をもち、中原や長江中下流域と文化的交渉を保ちながらも、南北二極に対する「第三の極」として独立文化領域を形成していた。後漢時代に盛んに造営された石闕はその発露であり、そこにみる特異な図像表現は、この地域特有の文化的土壌、すなわち、豊富な地下資源と安定した生産力、戦乱の少ない土地柄等、この地域が潜在的に持つ要素を背景として成立した、極めて享楽的な志向のあらわれではなかったか。研究に進捗により、以上の見解が実証されるのであれば、四川地域の漢代美術を特徴づける重要な視点となろう。―伝土佐廣周筆「四季花鳥図屏風」をめぐって―研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 岡 本 明 子本研究の目的は、現在孤立した作例と見なされている伝土佐廣周筆「四季花鳥図屏風」を、多様な展開をみせる室町期の障屏画作品の中に位置付けることにある。申請者がこの四季花鳥図のなかで特に注目するのは、花鳥の背景に金泥で描かれる霞の表現である。本図の雲霞は、金泥で描かれながら、はっきりとした輪郭を持つ点に特徴がある。また、雲霞が完全にモチーフの後ろに回って、背景のように配される点もこの作品の特徴である。泥で描かれる雲霞は、箔で表現される雲霞が主流となる
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