鹿島美術研究 年報第24号
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―60―=明治漆工芸の基礎研究前の作品、具体的には阿弥派や伝周文作品、また土佐派周辺の作例などに見出すことができる。しかしそれらの作品においては、ほとんどの場合雲霞ははっきりとした輪郭を持たない。金雲金霞が多くの作例においてはっきりとした輪郭を持つようになるのは、箔で表現されるようになってからである。本研究では、伝廣周筆「四季花鳥図」に見られる雲霞を、泥から箔へと雲霞表現がうつる過渡的な時期の所産と捉え、その成立過程や成立時期・画面構成に果たす役割を明らかにすることを目指す。本研究には次のような意義がある。まず、泥で描かれる雲霞と箔で表される雲霞の関係性を明らかにできることである。両者は、かたちの点でも構図上に占める位置という点でも大きな隔たりがあるために、その関係についてはこれまであまり言及されてこなかった。確かに、例えば阿弥派や伝周文作品に見られる左右上下に消えゆくような泥による雲霞と、狩野派作品に見られる明確な輪郭を持つ雲霞を直接結びつけることは難しいが、間に本作に見られるような雲霞を置くことによって関係を見出すことが可能となると考えられる。またそれによって作品の制作年代についての私見を得られると考える。次に、障屏画における和漢混交の有様を、作例に則して具体的に提示できることが予想される。水流と雲霞によって並列的なモチーフを繋ぎ合わせるという手法は中世やまと絵屏風に通じるものだが、雲や土坡に金を配してその間にモチーフを置く画面構成は漢画にしばしば見られるものである。このやまと絵・漢画双方の特徴を持つ雲霞がどのような成立過程を辿ったかを明らかにすることによって、本図における「和漢混淆」の有様を具体的に示すことが可能となる。―文献資料と在外作品の比較検討を通して様式変遷の端を探る―研 究 者:大阪市立美術館 学芸員  土 井 久美子本研究の構想①本研究の構想は明治時代に刊行された博覧関係資料、美術及び漆工関係等雑誌などを収集整理し、明治前期から中期にかけての、漆工界の動向、漆工家たちの業績などをまとめ、今後の研究に有用な資料を作成することにある。② 在外漆工作品の所在状況と、作品の来歴を明確にする。

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