―69―ピエロ・デッラ・フランチェスカ作《出産の聖母》―その制作年および制作背景に関する試論―研 究 者:慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程 林 克 彦ピエロの絵画技法、その人脈、あるいはその画歴の初期段階に関して、ここ数十年で多くの新たな情報を得た結果、われわれはピエロ芸術形成に関する定説の見直しを迫られている。こうした状況をふまえて申請者はすでに、一般的に1450年代末以降に位置づけられてきた《キリストの復活》(サンセポルクロ、市立美術館)に関して、その制作背景に関する新たな視点を提示し、その推定制作年の上限を、ピエロ研究においてそれまでほとんど検討されていなかった年代である1440年代後半にまで引き上げうることを論証した。しかしながら、これまでのところ、ピエロに関する新たな情報は作品の意味解釈や年代設定に関わるかたちで十分に活用されているとはいいがたい。したがって《出産の聖母》の制作年に関する新たな見解を提示することは、いまやピエロ研究者にとっての共通の課題であると思われる、ピエロのとりわけ初期から中期にかけての作品群の編年の見直しにも関わることになる。1993年に完了した修復、科学的調査によって《出産の聖母》で用いられている絵画技法の詳細が明らかにされており、本作は同じく近年に修復、科学的調査が施された《聖十字架伝説》で用いられている技法とほぼ同じ技法で描かれていることが判明した。《聖十字架伝説》はロンギ(1927年)をはじめとして、多くの研究者が《出産の聖母》と様式的に近いとしてきた壁画連作であり、近年の修復結果はこのロンギらの見解を裏付けている。他方で《聖十字架伝説》の制作年代に関しては諸説あり、ピエロ研究が開始されてから今日にいたるまで、つねに研究者の間で活発な議論が展開されてきた。つまり《出産の聖母》の制作年の推定は、ピエロの現存作品中でもっとも大規模な《聖十字架伝説》の制作年代の推定という重要な問題にも関わっているのである。申請者は、先行研究が提示したいくつかの意味解釈、ピエロの画歴の初期段階あるいはその人脈に関する新たな情報、そして近年の修復・調査の結果をふまえ、これまで看過されてきた点、すなわち当時のモンテルキ周辺地域の小都市間の特殊な政治・宗教関係に着目するならば、《出産の聖母》の制作背景および制作年に関する、蓋然
元のページ ../index.html#86