鹿島美術研究 年報第24号
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―70―唐三彩の与えた日本産陶器への影響について性の高い新たな見解を提示することができると考えている。―三彩<と獣脚付短頸壺の関係を中心に―研 究 者:奈良国立博物館 学芸課資料室長  吉 澤   悟奈良時代の日本人は、中国で好まれ主流をなしていた唐三彩の器種とは異なるものを選んで持って来ていたと言われる。その様を矢部良明氏は水道の蛇口を絞る様にたとえており(日本の美術408)、日本人の嗜好を反映した一つの文化的所作とみなしている。ひとたび請来された唐三彩を、さらに国産の陶器で模倣していたとすれば、それは当時の日本人の欲求をさらに色濃く反映させた「口になじむ水」であったと言い得るであろう。奈良三彩は、大仏開眼会をはじめとする国家的事業の中でまさに求められた鉛釉陶器であったろうし、今般追究する獣脚付短頸壺はより私的欲求を満たすもの―例えば優れた火葬蔵骨器への欲求―であったと想像されるであろう。本研究は、奈良三彩の成立とは別の面から唐三彩の影響を見つけようとするものであり、広い観点でみれば奈良時代における日本的な文化摂取のあり方を探ることに通じる。正倉院宝物にみる国際性ではなく、もう少し幅の広い階層の人々が求めた大陸憧憬に注目するのが今般の趣旨の一つであるが、これまでの研究例は意外にも少ない。唐三彩を入手できる人物が限られるだけに、関連史料の援用から、その模倣製作の意図や、携わった工人組織の追究にも一定の成果が期待され、後続研究の出る可能性は高い。さらに、この視点を広げて別の時代の様相―例えば、鎌倉時代の古瀬戸は、越州窯青磁や龍泉窯青磁を模倣して中国的な瓶子や四耳壺を盛んに生産したことなど―と比較すれば、一つの文化論へと展開できるであろう。唐三彩と須恵器の研究は、いわば美術史畑と考古学畑の分水嶺を跨ぐ仕事でもあり、資料が増加し情報が精緻化して行く状況下ではより積極的に進められねばならない研究領域と考えている。博物館・美術館に身を置く者として、こうした専門分野を超えた問題にも立ち向かうべきとの自覚を付記したい。

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