鹿島美術研究 年報第24号
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―72―15・16世紀北イタリア人文主義における牧歌的田園イメージの生成・伝達・受容と出説家ジェラール・ネルヴァルの『魚の女王』や旧約聖書の『ルツ記』、『エステル記』を始めとして、シャルル・ペロー、ギュスタヴ・フローベール、ジュール・ラフォルグといったフランスの詩人・小説家の作品を題材に木版画の装飾本を制作した。彼らが扱った題材が、農村生活に根付いていた民話に着想を得た物語であった点には、イギリスのウィリアム・モリスの試みとの共通性が見られる。だが、違いとして、モリスらがカトリック的な題材を好んで選んだのに対して、ピサロらは、旧約聖書から彼ら自身のユダヤ人のルーツに関わる物語を選んでいる点、またモリスらが主に中世の民話集を題材としたのに対して、ピサロらは近代小説を積極的に取り上げた点などが挙げられる。特にカミーユ・ピサロの書簡には、イギリスにおける試みに対する批判や違和感もうかがえるため、こうした違いは、宗教的な出自とともに、その思想的・美学的立場の違いにも関わるといえる。十九世紀末の出版物には、こうした思想的な立場が反映されていたが、先行研究では、それぞれの刊行物の立場や方法の差異については検証されていない。世紀末における出版物の研究によって、社会主義やアナーキズム、職人的な価値の復興や自然の崇拝といった、一九世紀末の芸術の社会的・思想的な背景が明確になる。また、同時代の視覚的な物語の方法に対する関心は、一コマで状況を諷刺するカリカチュアから、複数のコマを使った動きによって物語を説明する漫画やアニメーションの誕生という、表現上の変化にも関係している。装飾版画や挿絵といった視覚表現における物語技法の変化や複数の表現形式にも注目することで、世紀末の視覚文化の大規模な変容の過程の一端が明らかになる。版メディア研 究 者:京都外国語大学 非常勤講師  前 木 由 紀意義申請者は北イタリアの絵画、挿絵入り写本および刊本などに見られる牧歌的田園イメージを研究の対象とするが、イメージの生成・伝達・受容の問題に際しては、個々の作品における表象の質や意味内容のみならず、それらが媒介される手段、経路や量

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