鹿島美術研究 年報第25号
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―18―本発表では、ディエゴ・ベラスケス(Diego Velázquez,1599〜1660)が初期セビーリャ時代に描いた通称「ボデゴン(bodegón)」と、ベラスケスの師パチェーコの周辺に集まっていたセビーリャの知的貴族の関係について検討する。これまで、ベラスケスのボデゴンの成立は、貴族たちの知的、芸術的な関心と結び付けて論じられることが通例であった。しかし発表者は、パチェーコおよびベラスケスの周囲にいたセビーリャの貴「Hiroshima」という名称の由来について、若干の補足を行いたい。「戦後日本の15人」という展覧会を特定し、その概要を把握した。また、その展覧会2.ニューヨークでの調査によって、福沢作品が発表された「地下鉄画廊」、及びにおいて福沢の作品が特に注目を集めたものであったことが確認され、出品者によって彼の作品に「Hiroshima」「FINAL PHASE」といった名称が付された事実も確認出来た。さらには、その名称に引きずられるように作品の評価が行われた事例も知ることができた。3.終戦直後の米国内における、同時代の日本美術紹介の事例として、展覧会「戦後日本の15人」は最も早いものであると推定した。また、この展覧会の出品作のように、同時期に日本からアメリカへ持ち出された、同時代の画家による作品が多数存在したことが確認され、作品の追跡調査、終戦後の日米美術交流の進展に関する研究など、今後の大きな課題を見出すこととなった。また、このたびの発表では、報告書提出後に明らかになった、福沢作品に付された3.ベラスケスのボデゴンと17世紀セビーリャの知的環境発表者:慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程 諸 星   妙族の多くが、改宗ユダヤ教徒(コンベルソ)の家系に属する人物たちであった事実に新たに注目したい。純粋なカトリック教徒以外の者が公職に付くことを禁ずる「血の純潔規約」が存在した当時のスペインにおいて、コンベルソとしての出自は、その家系に連なる貴族の心に大きな不安と葛藤を与えていた。ベラスケスはセビーリャにおいて、これらの貴族と親交を持ちながら制作活動を行い、1623年には、彼らの後ろ盾を得て、宮廷入りを果たすことになる。一方、近年相次いで発表された新資料によれ

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