鹿島美術研究 年報第25号
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―32―界大戦後の政治経済体制の故もあり、西側には情報が入りづらく、日本国内でもこれまであまり取り上げられることがないまま現在に至っている。本研究では社会主義体制下でのポーランドにおける芸術情勢を探ることによって、その特質と魅力についての分析を行い、戦前のモダニズム運動との関係を探ると共に、現代へそれがどのように受け継がれているのかを明らかにしたい。特に、身体表現(パフォーマンス)は、当時の映像(写真、映画等)の記録と文字情報しか残されていないため、そこから再構築する他に手がかりが少ないが、できる限り当事者にあたってゆきたい。まだ当時現役だった世代の多くが存命であるため、この作業はぜひ今行うことが求められている。非公式の地下活動についても同様である。とりわけ、検閲の厳しかったスターリン時代には、多くの作家たちが活動を制限され、しばしば個人のアパートにて展示活動をゲリラ的に繰り広げていた。交通網の発達も遅れ、移動もしばしば制限されたため、作品がコンセプトのみでFAXにて展覧会場に送付され、展示作品となる、という表現方法も生じた。必要から生じた様式の一つであったといえよう。こうした作家たちの動きと、政府公認の社会主義リアリズムとがどのように交錯し、また実際には当時の国家の文化政策と自己認識とがどのようなものであったのかも視野に入れつつ研究を行いたい。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  尾 崎 有紀子この調査研究の意義は何よりもまず、類例の少なさにある。現在わが国のイタリア美術史のフィールドにおいては伝統的に、研究対象の多くが近代以前、とりわけルネサンスからバロック期の作家・作品より選択され、近・現代美術ではたとえばイタリア未来派が主要なテーマとして認知されている。20世紀イタリア美術の作家たちの中には、日本でも人気を得ている画家・彫刻家も多い。しかしそのようなイタリア現代美術の流れの前段階となる19世紀イタリア美術、とりわけハイ・アート以外の分野については、わが国では先行研究が多いとはいいがたく、言及される頻度の高い作家は特定の何人かに偏っている印象さえ受ける。19世紀のイタリアは長年にわたる他国の占領から脱し、現在のイタリア共和国の原形となる近代イタリア王国が誕生して、周辺国と競うように近代化が進められていっ③ 描かれたリソルジメント ―近代イタリアにおける英雄像の二つの流れ―

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