―33―た激動の時代であり、その社会の様相に目を向けてみれば、これまで日本ではあまり話題とならなかったさまざまな視覚文化が存在する。革命から国家統一までの歴史の動きから生まれた多様な絵画および挿絵入り出版物、近代国家としてのイタリアを表象する視覚イメージが20世紀前半のファシズム期に至るまで国家システムに利用されてゆくプロセスなど、本国では大いに論じられているとはいえ、日本の美術史研究者による論考は未だ少ない。申請者はこれを本調査研究の主たる意義および価値とする(将来的にはこの研究の経験を生かし、19世紀イタリアの視覚文化を検討した目で20世紀、とりわけファシズム期のそれを見るという立場に立ちたいとも考えている)。また、わが国では遅れている感のある19世紀イタリア視覚文化に関する詳細な研究は、それ自体に意義があるのみならず、周辺のヨーロッパ諸国における同時代・同分野の流れを検討する際のひとつのケース・スタディともなりえるだろう。研 究 者:神奈川県立歴史博物館 学芸員(非常勤)林 みさき「横浜写真」に関しては、同時代から間断なく言及がなされてきたが、厳密な検討が行われ始めたのは、ここ30年ほどの齊藤多喜夫氏、木下直之氏らによる研究をまたねばならない。これらの研究により、「横浜写真」という認識自体が同時代のものではなく、後の研究者により仮に名付けられ、まとめられたものであることが明らかにされた。これは後世の枠組みによって資料の性質を変化させた例といえ、そのあり方を正しく捉え位置づけるためにも、同時代の状況を細かく調査し、検討することが求められよう。本研究は『JAPAN』を扱うことで、「横浜写真」の新たな側面を明らかにすることを1つの目的としているが、それのみにとどまるわけではない。『JAPAN』は需要量からだけでなく、私的な出版社から出されたことも、自由な選択を可能とし、当時のひとつの典型的な日本イメージを反映しているといえる。またここには典型的な日本を表すものとして使用された、織物であらわされた日本画や、摺物(浮世絵)、肉筆画、さまざまな紋様の型紙などをはじめとし、様々な同時代の視覚表象が残されている。筆者はこれらのものが、都市や開港地で外国人にお土産として販売されていたものと推測している。いわゆるファイン・アートではないこれらのモノは、同時代に共④「横浜写真」研究 ―日本近代における日本イメージの形成と流布―
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