鹿島美術研究 年報第25号
51/104

―34―通するイメージを人々が持つ上で大きな役割を果たしているが、消費されるものというその性質から残りにくく、またその正当な評価も行われにくい。本研究は、現在も名前だけが伝わっているこれらの一部がどういったものであったかを明らかにする可能性も含んでいる。またこれまでの調査から、『JAPAN』の受容者と現在のこれらの資料に対する評価のズレが指摘でき、後世の価値観から消されてしまった当時の認識に迫れることも期待している。なお筆者は、本研究において「横浜写真」の製作年代をより長い期間で捉えられると考えている。このことから、その後のエステティック・ムーブメント等、一種の日本ブームの動きとの関連性について何らかの示唆が得られることも期待される。研 究 者:太田記念美術館 主任学芸員  奥 田 敦 子行楽を描いた浮世絵の題材として、花火は花見に次いで多く、主要なテーマといえる。しかし、花火に関する浮世絵の研究は、展覧会の開催というかたちで代表的作品の展示が行われるに止まり、研究蓄積はそう多くはない。美術史よりむしろ工学及び歴史学において積極的に研究がなされてきたといえるが、それも花火技術の発達を示す証左として一部を取り上げられるに止まっている。それゆえ申請者は、江戸の花火という浮世絵展の調査をきっかけに、浮世絵における花火の表現の変遷と技術の発展の影響関係について調べてきたが、調査研究を進める中で、表現に大きな変化が起こる時期と、打上げ花火の登場や白色光の導入といった技術発展の画期とが、合致する傾向がうかがわれた。現在は一部の作品の調査に止まるが、より網羅的に収集分析を行うならば、花火の表現の変遷に技術発展の影響が作用している可能性を、ひいては図中の花火の種類形態が、浮世絵の出版時期の検討材料として利用可能になることも期待できる。そこで本調査研究では、まず作品の全国的な所在の確認を行い、年代的な整理、画中の花火の種類形態の分析を行う。これらの結果をまとめた作品一覧と画像データベースは、今後の浮世絵及び花火技術の研究にとって有用なものになると考えている。また、調べる中で、花火屋玉屋が文化5(1808)年に成立したという定説を遡る、宝暦年間(1751−64)頃の鳥居清満「浮絵両国凉之図」に玉屋の名を見出した。さら⑤ 浮世絵・花火の表現の変遷とその歴史的背景

元のページ  ../index.html#51

このブックを見る