―47―⑲ 1920〜30年代ソ連における芸術教育をめぐって⑳ 狩野之信と「!隠」「□信」印作品の再検討―ギンフク(国立芸術文化研究所)を中心に―研 究 者:大阪大谷大学 非常勤講師 江 村 公モスクワの構成主義は芸術制作を労働プロセスへと位置づけ、「芸術を生活の中へ」というスローガンの下、生産主義へと先鋭化し、造形芸術から日用品のデザインや建築の分野へと軸足を移すことになった。ヴフテマスの組織では、基礎教育を受けた後、専門課程に分かれることになるが、インフクの研究員は基礎課程の一部と金属・木工学部を担当していた。金属・木工学部では、ロトチェンコらやリシツキイが教鞭を執り、新しい社会と日常をかたちづくる事物のデザインが行われた。このように、モスクワでの構成主義をめぐる議論とその教育は、有用性をもった事物の生産を軸に展開されるが、ヴフテマスの基礎課程は芸術作品を諸要素に還元するような分析的視点を重視し、実践的なものづくりへの導入と位置づけられていた。その一方、ギンフクではマレーヴィチとマチューシンによって、「有機的科学部門」が設立され、インフクとは異なる模索が行われた。ギンフクはより基礎的課程を重視し、人間の感性の発達にその教育の重点を置いていた。マレーヴィチとともにこの部門を担当していた、音楽家・画家・理論家であるマチューシンは、その学生の訓練方法に当時のロシアでのテイラー主義といわれる「労働の科学的組織化(ノオト)」の手法を用いたといわれている。反射学に基づくこのような訓練方法は、当時の映画における新しい視覚の模索と並行している。その教育システムの全貌を明らかにすることは、次のような目的をもつといえるだろう。第一に、感性と反射学や脳科学との関わりを模索する近年の視覚文化研究に新たな知見をもたらすこと。第二に、身体の運動の計測に基づくテイラー主義とデザインとの結びつきを当時のソ連におけるケース・スタディとして示すこと。なお、アメリカでテイラー主義はシステム・キッチンのデザインに生かされたことが指摘されている。本研究の意義はデザイン史の再考のみならず、感性と科学的思考をめぐる1920−30年代の文化的パラダイムに関する議論に一石を投じることが期待される。研 究 者:元東京都美術館 学芸員 松 木 寛
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