鹿島美術研究 年報第25号
65/104

―48―7キリシタン時代のメダイ図像研究私のこの調査研究が予測通りの成果をあげれば、「u隠」「□信」印の諸作は之信の作で、十六世紀前半期の制作ということになる。このことによって之信は新たに正当な歴史的位置づけと、より高い評価を受けるようになるだろう。そして、それは当然狩野派にこれまで以上の厚みと一層の生彩を加えるだけではなく、狩野派の様式展開がより明晰に把握できるような材料を提供してくれるはずである。たとえば大仙院の元信筆四季花鳥図襖絵と元信筆四季花鳥図屏風(白鶴美術館)の間に之信の花鳥図屏風(文化庁)を置いてみれば、二つの元信作品はもちろん、それに続く松栄筆四季花鳥図屏風(山口県立美術館)や桃山時代の花鳥図の展開の道筋に、これまで以上に合理的な説明をつけられるようになるのではないだろうか。また一方、「u隠」「□信」印の作品のモチーフを精査することによって、現在伝元信筆とされている筆者不明の作品のなかに、之信の作品を特定できる可能性も充分にあるだろう。さらにこの方法論を十五世紀室町水墨画と元信、伝元信作品の比較・検討にまで拡大していけば、まだまだ不明瞭な感のある元信の様式形成に関して、明るい光明を見出せるという期待もある。研 究 者:長崎純心大学 人文学部 准教授  浅 野 ひとみ日本に現存するメダイに関しては、考古学からのアプローチが端緒に着いたばかりである。フランスでは19世紀末からセーヌ川の発掘調査による出土品の分析報告が出版されているが、比較点数が少なく、広域的調査とは言えない。さらにメダイの機能に踏み込んだ考察は試みられていないが、最近、D. ブルーナによる『鉛の徽章』で、中世の巡礼バッジの意味を探る論考が発表された。当該研究は、この論文に着想を得て、日本の考古学研究者による素材の成分組成からメダイの制作地を推定する試みに触発された。プラケットに関しては、形式分類したスペイン語の論文が戦直後に発表されている他、70年代に、ドイツのI. ウェーバーの先行研究があるのみだが、それらによると、一つの型が16世紀から20世紀まで制作され続ける例があるといい、図像の面から制作年の特定は極めて困難である。しかし、仙台や日本二十六聖人記念館に残るものは、

元のページ  ../index.html#65

このブックを見る