―49―8近代日本におけるアメリカ美術受容の変遷裏側が板状に平らに仕上げてあり、型押しの跡は確認できない。表側の仕上げも丁寧であり、切れのある表現となっている。これは、2007年夏に仏国立図書館(パリ)で行われた《ルネッサンス時代のプラケット》展で展示された諸作品にも共通する。しかし、国内の大半の型押しプラケットは複製品と考えられ、技法の分析も重要となろう。ルイス・フロイスによる『日本史』(1583)には、メダイに言及した箇所が散見され、貴重な同時代の証言となっているが、そのうち、「1500人に切り分けたアニュス・デイのメダイ」というのが、不明であった。しかし、文献調査により、これは、教皇が祝別した蜜蝋で制作される、いわばプレミア付き限定品であることが判明した。このように、実測、図像分析、文献調査と多角的な考察により、メダイやプラケットの持つ本来の意味が明らかになり、制作年もある程度まで判明するだろう。最終的には、考古学的な計量や素材分析成果と合わせて、メダイ類の体系化を図りたい。―太平洋画会と日系移民画家の活動を中心に―研 究 者:国立国際美術館 主任研究員 安 來 正 博明治に始まる日本の洋画受容の様相は、ちょうどそれより百年以前の、独立戦争前後のアメリカにおける文化的状況と酷似している。19世紀初頭に、ヨーロッパの古典主義絵画への追随から脱却し、自国の崇高な自然美を発見することで、独自の風景画を展開させたハドソン・リヴァー派の画家たちは、日本で言えば、印象主義を日本的風土の中で展開させていった「外光派」「紫派」に対応する動向であった。しかし日本が洋画の修得に直面した時代、逆にアメリカは大国となって出現し、文明開化は、欧米双方から押し寄せてくる近代化の波の中にあった。その過程で美術を志す多くの若者達をヨーロッパ、就中フランスやイタリアへと誘ったのは、フォンタネージやラファエル・コランといった、必ずしも傑出していたわけではない数人の画家たちの存在であったという事情は、この国の文化の行く末が、わずかな歴史の歯車の掛け違いで、全く別の様相を呈していたかも知れない事態を物語っている。その意味で、この時期にヨーロッパではなくアメリカを選択し、彼の地で絵画を学
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