鹿島美術研究 年報第25号
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―50―9ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂パオリーナ礼拝堂装飾の様式論的考察び、画家として大成した日本人達について知ることは、日本人の近代的自我意識の形成に関わる、重大な問題性を含んでいると考える。例えば、彼らはアメリカ社会において、日本人としての文化的な優越感と近代化への劣等感、民族的な誇りと人種差別社会の現実といった、相矛盾した環境に直面したことであろう。アメリカで展覧会を開くということ、美術家となることを、近代の日本人がどのように認識し、その体験を日本文化の発展にどのように反映させ貢献したか。本調査研究の究極の目的は、異文化接触と自己のアイデンティティの確立との関係性を、日本とアメリカという、ともに西洋社会から見れば、ひとつの文化的マイノリティ同士の対話の中に探り出すことにある。研 究 者:千葉大学、川村学園女子大学 非常勤講師  新 保 淳 乃16世紀後半シクストゥス五世は大聖堂内にシスティーナ礼拝堂を造営した。17世紀初頭パウルス五世はその対としてパオリーナ礼拝堂を構想し建立・装飾した。両礼拝堂はカトリック教会の刷新と世界布教の方針を具体的に表現しており、前者が「闘う教会」、後者が「勝利する教会」を代表する。この点から、パオリーナ礼拝堂を広く同時代的文脈から検証することは、対抗宗教改革運動がいかなる視覚文化を生み出したのかを具体的に解明する上で大きな文化史的貢献をなすといえる。第二に、本礼拝堂が成立した時期は、1620年代から急速に主流を占める盛期バロックの前期にあたり、本研究を通して、重要視されながらいまだ明快な見取り図が提出されていないプロト・バロックの歴史的再評価を促す意義がある。その理由は、起用された4画家がそれぞれ異なる様式的特徴をもつ事実にある。絵画装飾の総監督を担ったのは、平易に聖史を描くトレント聖画像論に応えて世紀転換期のローマ画壇を支配したガヴァリエーレ・ダルピーノである。またボローニャ派の理想的古典主義の旗手レーニ、カラヴァッジョ主義を離れレーニに急接近していたバリオーネが、ダルピーノとともにルネッタ、アーチ内輪、前室天井と左右祭壇を担当した。天蓋は、フィレンツェの絵画刷新の薫陶を受け、本作で錯視的天井画の方向性をいち早く示したチーゴリが装飾した。この選択を様式史上に置くと、カラヴァッジョ主義が終息に向か

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