鹿島美術研究 年報第25号
68/104

―51―:油彩風景スケッチの発展とローマのフランス・アカデミーい古典主義的絵画様式が主流をなす1620年代末からの盛期バロックに結実する、大きな様式史的転換点を画す事例と捉え直すことができる。申請者はすでに天蓋装飾の図像霊感源を含め「被昇天聖母」図像の系譜から様式史的位置づけに着手している。レーニの個別研究の蓄積は厚く、また2008年イタリアで素描展が予定されているため、最新の様式論的研究成果を直に取り入れた現地調査が期待できる。個別研究がようやく緒についたバリオーネおよびダルピーノに関してもそれら最新研究から貪欲に成果を取り入れることにより、前者はカラヴァッジョの影響から脱してレーニの古典主義的様式に移る時期に、後者についてはその広範な制作活動に本作例を位置づけ分析する枠組みを提出できる。最終的に、様式上の非統一性というパオリーナ礼拝堂の特質を、個別図像の様式的検討を通して再検証し、カトリック教会の普遍性、正当性を宣言する同礼拝堂の機能がその新たな表現を生み出した、とする申請者の仮説を実証することによって、複雑なプロト・バロックの文化状況を具体例に基づいて解明できると確信する。さらに同礼拝堂を同時代史に置き直し、科学的に検討することによって、その文化史的重要性に対する正当な理解を促すことができる。研 究 者:静岡県立美術館 学芸部長  小 針 由紀隆17世紀から19世紀にかけての西欧風景画史は、三つの風景画の伝統、すなわちクロード・ロランやニコラ・プッサンによる古典的風景画、サルヴァトール・ローザによる前ロマン主義的風景画、そしてヤーコプ・ファン・ライスダールやホッベマによるオランダの写実的風景画の伝統を中心に説明されてきた。しかしながら、1990年代以降、西欧風景画史の研究には大きな変化が生じた。18世紀後半に、アルプス以北の国々からイタリアにやってきた画家たちは、ローマ周辺で油彩風景スケッチを実践した。以来半世紀の間に、風景スケッチは目覚しい発展を遂げ、1820年代、すなわちコローが最初にローマ留学を果たした頃に最盛期をむかえることになる。油彩風景スケッチでは、通常画家が戸外の風景を厚手の紙に油彩で描き、その後カンヴァスに貼りこむケースが多かった。制作の動機は自発的で、そのため自由で私的な性格が強く、公的な展覧会に頻出することもなかった。また、ローマのフランス・

元のページ  ../index.html#68

このブックを見る