―58―<シャガールとユダヤ美術 ―ロシア時代の作品―考える。仏像と光背の関係性は、もとより印度、中国、日本における古代の作例より考察すべき普遍的な問題であるが、本研究であえて平安後期からの時代を区分として設定した、その理由を以下に述べ、本研究の問題意識と意義を提示したい。光背意匠について、経典や仏教書の規定に則して、信仰的な側面から解釈する試みは、法隆寺金堂釈迦三尊像など上古の作例を対象としていくつかの成果を得ている。ただし、木彫像が主流となる、平安時代以降の作例となると、現存遺品の少なさもあって、活発な議論がなされてきたとはいえない。特に平安後期からの光背については、古典形式の学習や定朝様の規範性、新図像の採用などの指摘があるが、ここまではかたちの問題としての考察に留まってきた傾向が否めないように思われる。ただし平等院像に関していえば、一方で阿弥陀堂・伽藍の空間理念に関する考察は進んでおり、像に従属すると捉えられている光背については、それらの成果を組み込んで、あらためて彫刻史研究の立場から論じる必要性があろう。また多くの造形的側面において、規範が重んじられる時代であることは繰り返し語られているが、であるからこそ、その継承と変容を精査することによって、光背に付与された宗教的観念を抽出し得ると考える。加えて、図像を検討する上で、彫像と画像の違いにも目を向ける必要があると思われる。両者の図像的な影響関係が無条件に想定されがちだが、具体的な奥行きをもってあらわされる彫像と、二次元の画像とでは、その用途も異なり、それに応じた表現手法が求められたはずである。以上の問題意識から光背意匠を読み解く上で、本研究では頂上大日を重要な研究材料のひとつとして取り上げる。密教的世界観において絶対的・超越的な存在と位置づけられる大日如来が、光背モチーフとして組み込まれることの意味を考察することで、仏像に対する祈りの構造を解明し得ると考えている。研 究 者:岡山大学大学院 社会文化科学研究科 博士課程後期本研究の目的は、美術史における神の可視・不可視という問題、超越的な世界を現梶 原 麻奈未
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