鹿島美術研究 年報第25号
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―62―@江戸時代の絵画における「写意」の問題 ―池大雅と長沢芦雪の作品を中心に―「真景図」は中国山水画理念の中で最も重視された「真景」を如何に表現するかとい豊かなものにすることに貢献したいと考えています。研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程満期退学江戸絵画史において、いわゆる「百花繚乱」の時代と称される一八世紀後半期から一九世紀初めにかけては、その呼称通り新旧含めた様々な画派が競うがごとく画壇に華を咲かせた時代であった。日本文人画も、中国文人趣味への憧れを発端に、京都で新しく華を咲かせることになった画派である。とりわけ、池大雅は日本文人画の大成者と称され、現在高く評価されている。大雅が日本の景観を体験、観察して描いたう理念に基づいたと思われる。大雅はこれらの真景図に「写意」と款しながら、一方に中国を主題とした山水図にも「写意」と款したのである。本研究は大雅が「写意」と款した作品を詳しく調査し、分類し、大雅の山水図における「写意」の意味を明らかにし、同時代の円山派の画家、長沢芦雪の「写意」と款した作品をさらに取り入れて比較したうえ、江戸時代における中国絵画理念の受容の一側面を検討するのが目的である。中国の山水画における「真景」の理念は六朝時代から多くの画家たちに探索され続けて、宋時代にやっと解決を迎えたのである。それから、「写意」という主に花鳥画の手法は、元時代から多くの懸念を遺しながら清時代まで画家や画論家たちに論じられたのである。周知のように江戸時代、日本国内秩序の安定により、有力な大名をはじめ文化の振興の余裕が生まれた。中国の明末に盛んになった出版文化が輸入により日本に波及した。儒学以外絵画、文学や娯楽的な書物まで実に多様であった。このような状況下、長い年月をかけて確立した中国の錯綜複雑な絵画理念は、極めて短い時期に集中的に日本に上陸したのである。ここで、日本の画家たちが如何に理解し、受容するのかを前提に大雅と芦雪の作品を調査、分類し文人画のみならず、江戸時代の画壇における中国絵画理念の受容の一側面を明らかにしたいのである。金   靖 之

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