鹿島美術研究 年報第25号
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―67―Eマルセル・デュシャン作《階段を降りる裸体NO.2》をめぐる一考察―同時代美術との関わりから―研 究 者:関西大学大学院 文学研究科 博士課程後期課程  花 澤   志本研究の目的は、マルセル・デュシャン(1887−1968)が1912年に制作した《階段を降りる裸体No.2》(原題Nu descendant un escalier)を「裸体」と「運動」という二つの主題に基づいて考察し、同時代美術との関わりを検証することである。タイトルは文字通り「裸体」が階段を降りる「運動」の最中にあることを示している。そして、「裸体」と「運動」というモティーフをモダン・アートの歴史に照らした場合、これらが絵画を取り巻く慣習への挑戦として機能してきたことは明らかである。「裸体」すなわちヌードは、マネやピカソらのように伝統的な価値観や社会的因習を打破する革新性を孕んでいた。また「運動」は、産業革命によって鉄道や自動車が獲得したスピードが、人々の生活に与えた近代的な知覚の変容に関わる極めて20世紀的なテーマである。これらは、革新的な絵画を求めてそれまでの絵画の在り方に異議を唱えた画家たちが選んだモティーフでもあった。したがって、デュシャンの同時期の他の作品に比べ彼がこの絵を通して何を見ていたのかが最も顕著に表されていると考えられる。さらに、「画家」デュシャンが事実上、絵を描くことを「放棄」して「レディメイド」へと転向する直前に、絵画をどのようなものと考えていたのかを探る上でも重要だと考える。この絵は、デュシャンがサロン・キュビスト(画商と契約したピカソとブラックに対し、サロンに出品してキュビスムの理論化を試みた画家たち)と交流した時期に描かれた。同時にそれは、イタリア未来派による国境を越えた活動が活発化した時期でもある。それにも関わらず、従来の研究では、キュビスムはデュシャンにとって単なる通過点にすぎないとして、同時代美術の影響がほとんど考慮されていない。したがって、キュビスムや未来派とこの絵の関係は十分に論じられていないように思われる。また、レディメイドの反芸術家=ダダとしてのデュシャンをキュビスムによって語ることは、美術史的な方法論への回帰だとして避けられてきたのかもしれない。しかしながら、近年サロン・キュビストたちが展開したキュビスムの理論化の過程が明らかになるにつれ、それが果たした役割はデュシャンの初期の絵画研究において無視できなくなってきた。さらに、「運動」そのものが主題となることは、未来派の絵画に最

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