鹿島美術研究 年報第25号
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―68―近代美術と能もよく見出される特徴であるが、ではパリのデュシャン及びキュビストとイタリア未来派との影響関係や彼らのイメージ源がどこにあったのか、という当時の状況はほとんど議論されていないように思われる。以上の理由から、デュシャンの絵画をサロン・キュビストの作品や理念と比較し、両者の類似点と相似点を検証すること、また未来派との関係とイメージ源、そしてこの絵の受容が問題となる。研 究 者:神奈川工科大学 非常勤講師  清 水 玲 子本調査研究は、これまで取り組んできた「美術と能」研究の一端をなすものである。室町時代、観阿弥世阿弥父子等によって能は大成されて以降、その形式を凡そ変えることなく今日まで続いた世界でも稀有な芸能と言える。江戸時代には武家式学とされたため、その面のみが強調されがちであるが、寺子屋で謡を教えるなど庶民レベルにまで能の教養は行き渡っていた。だからこそ、橘守国の『謡曲画誌(うたひえほん)』や鈴木春信の《見立鉢の木》などの版画にまで能は描かれ受容されてきた。しかしながら、現在は小学校で謡を習うどころか一生涯能に触れることなく過ごす日本人が多いと思われる。そのような背景の中で能にまつわる作品を観ても、能との関わりすら感じることは難しくなりつつある。こうした状況にあっては、美術史研究において能に関連あるデータもほとんど注視されることがなくなってきている。また、能楽史研究においても、役者研究が主流であるため、美術についての指摘はほとんどなされていない。美術史や能楽史において既に調査された資料であっても、再度の調査はぜひとも必要とされる。能に関わる美術作品解説においても、いぶかしい記述が散見される。たとえば、最近の展覧会の図録に、上村松園《花がたみ》の解説として「謡曲「花筐」の一節に題を取っている」と書かれているが、これは能の詞章部である謡曲の一節から題をとっているわけではなく、「花筐」という能の全体を前提としつつ、そこに登場する「照日の前」に焦点をあて、松園のあらたなイマジネーションのなかで解釈した作品である。このような誤認を導きかねない記述が、そのまま後世にひきつがれていかないようにするためにも、「能」と「美術」に関する文化的・歴史的再考は不可欠であろう。作品は、同時代及び過去の芸術思潮や社会環境などからさまざまな影響を受けるな

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