鹿島美術研究 年報第25号
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―70―震災による工芸文化の変容に関する研究 ―インド・カッチ県を中心に―子を豊かに描き出してきた。「肥前名護屋城図屏風」に都市の様子が人事として活写されるのは洛中洛外図の伝統に立ってのものと思われる。以上述べたように、「肥前名護屋城図屏風」には西欧流入の図像を下敷きとした都市風景の中に、建築や人物を先行する洛中洛外図から継承された図様によって生き生きと描き出している。これが秀吉周辺で制作されたものであるなら、自ら造った都市を西欧の王城に見立て、その土地で繰り広げられた秀吉の事蹟を散りばめているといえるのではないだろうか。そして、名護屋という土地が描かれたことには、遠く壱岐を望むのは対馬をつたって朝鮮半島に対する要所であることを示しているであろうし、この土地にまつわる物語とも無縁ではないだろう。以上述べてきたように「肥前名護屋城図屏風」には極めて複雑なイメージがこめられていると思われる。そのイメージを解き明かし、豊臣秀吉の事蹟が、特異な図様の都市図の中に描き出された、その具体相を明らかにするのが本研究の目的である。研 究 者:大阪芸術大学 非常勤講師  上 羽 陽 子調査地・カッチ県は染織、陶芸、金属、革細工、木工などの手工芸が盛んに行われていた。しかし、震災によって手工芸に従事していた技術保持者の死亡や、工房や機材などの崩壊などといった精神的・物質的な被害を受け、現在カッチ県はインド国内外の支援によって急速に復興活動が進められている。本研究の目的は、震災以前の1997年からカッチ県での調査を行ってきた申請者が、これまで蓄積したラバーリー社会研究を基盤とし、彼らの手工芸文化の変化について支援者側と被災者側の両面から現地調査をし、比較分析研究を行ない、震災復興支援活動による手工芸文化の変容を探ることにある。近年の手工芸研究の分野では、文化人類学的アプローチによる物質文化研究が主流であり、制作された造形物の表面的なデザイン、またはその造形物が持つ社会的意味などを重視する傾向にあるといえる。しかし、手工芸研究において、調査者自身がどれほど実技に通じているかが調査結果に現れてくるものであり、同じ造形物の制作工程を観察しても、実技に通じるものとそうでないものとでは、視点が異なり工程の記述も違ってくる。申請者は大阪芸術大学において染織を専攻し、大阪芸術大学大学院修士・博士課程

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