鹿島美術研究 年報第25号
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―76―H日本近世・近代の毛筆と書画表現I元末明初の景徳鎮窯青花磁器に描かれた文様について研 究 者:相国寺承天閣美術館 学芸員  村 田 隆 志従来等閑視されてきた毛筆の種別や技術の相違による描線や画風、書風の変化について明らかにしたい。本研究の進展により、巷間まま観念的に用いられている「竹筆を用いたような描写」、「粗放な、禿筆を用いたかに思われる筆致」などの表現に、理論的な裏づけを与えたい。また、俵屋宗達の「たらし込み」や円山応挙の「付立」浦上玉堂の「擦筆」などそれぞれの画家の画技を象徴する描法は、それぞれ使用する毛筆の性能に大きく左右される。時代につれて変化し、向上する毛筆を彼らは使いこなして独自の表現を生み出したものと考えられるが、その実態についても考察を行いたい。また、研究の過程で各地のミュージアムや寺院等に蔵される毛筆資料の調査を積極的に行いたい。例えば、筆の里工房、三井記念美術館、黒川古文化研究所、霊鑑寺等には毛筆研究上、極めて興味深い資料が蔵されているが、十分に研究が尽くされているとは言い難い。この為、これら資料の分析も行い、多角的に毛筆の研究を深めたい。―唐子文様を中心として―研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士課程(一貫制)元代後半、景徳鎮窯において、絵筆を用いて施文する青花磁器を中心に焼造し始めたことは、中国陶磁史上ひとつの転換点となった。すなわち、それまで陶磁器では、器形の厳しさや釉色の美しさが重要視され、文様は釉色を引き立てるためのものであったのに対し、それ以降文様に主眼が置かれるようになったのである。その後、景徳鎮窯青花磁器は明代永楽〜宣徳期に最盛期を迎えるのである。元青花焼造以前の陶磁器の施文は、ヘラを用いた彫り文様、あるいは型押しによる文様が主である。技術的な問題から、ヘラ等による施文よりも絵筆を用いた施文の方が格段に文様の種類が増えるのは自然なことである。そして絵付け技術の熟達により杉 谷 香代子

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