―13―優秀者が内定し、2008年3月4日開催の理事会によって決定された。以下にその受賞理由を申し述べる。《日本・東洋美術》清水 緑「下村観山と原三溪にみる作家と支援者の関係」画家と支援者との関係は、美術史研究のきわめて重要なテーマである。西洋美術史においては、早くフランシス・ハスケルのすぐれた業績があるが、日本美術史においても最近関心の高まりをみせている。本論はこのような研究史的潮流に棹差しながら、下村観山と原三渓の関係に焦点を合わせ、観山芸術の秘密を解き明かすことに見事なる成功を収めている。よく知られるように、三渓は多くの作家を支援したが、もっとも気に入った画家が観山であった。清水氏は三渓の『所蔵品目録』と、購入した作品の記録である『美術品買入覚』とを比較検討し、前者にあって後者にない作品の重要性を改めて指摘した。両者の記載に齟齬がある理由として、後援会である「観山会」に注目し、三渓が年に一作の割合で観山作品を購入するとともに、観山から三渓へ年一作が贈られるようになったためであることをはじめて明らかにしたのである。次に清水氏は、遺族の家に伝えられる観山の日記を取り上げ、三渓に関する記録を整理して両者の具体的な関係を読み解いた。この日記は三男英時による『下村観山伝』のもとになった重要な資料だが、これまで紹介されることはなかった。第8回再興院展出品作「楠公」が三渓の注文制作であることをはじめ、多くの事実が明らかにされた。とくに観山の晩年に至るまで三渓との厚き交流が続いていたことの指摘は、これまでの晩年作に対する見方に再考をうながす結果となった。続いて清水氏は、三渓に関わる院展出品作から両者の関係を考察した。大正初期、さまざまな新しい様式が沸き起こったが、むしろ伝統的な描線と彩色、構図の美しき調和こそ観山の理想とするところであり、相似た美意識をもつ三渓の依頼は、そのような観山の理想を具現化するために必要不可欠であったことが論究された。以上、観山と三渓は単なる画家とパトロンの関係を超えて結ばれており、それは出品画すなわち三渓の依頼という作品の存在に象徴されている―これが清水氏の結論である。本論は新資料による実証性と、それに基づく独創的見解において、新たな地平を開く観山研究であるが、それに止まらず、このような方法論を採るときのモデルと
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