鹿島美術研究 年報第26号
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―19―検討していくと、画家は連作を7枚へと展開させることにより、神的な法則に支配された「世界」を表わそうとしたと考えられる。この枠組みを想定しつつ、連作中に描き込まれている、幼年期から老年期の人間、そして骸骨と天使のモチーフの意味を、他の画家たちによる四季図との比較から検討していく。例えば当時もよく知られていたプッサンによる《四季》連作(ルーヴル美術館)では、4つの季節が旧約聖書による人類救済の歴史として捉えられているのに対し、フリードリヒの連作では、四季を含めた「世界」が人間の一生に則して把握されていることがわかってくる。ここではまた、19世紀前半の政治的、社会的な背景についても考えなければならない。《秋》に描き加えられた兵士や記念碑のモチーフには、画家の政治的関心を読み取ることができる。また、連作中の男女の姿には、男女がそれぞれの果たす役割が示唆されており、画家が希求する自由のありかたをうかがい知る契機も提供されている。《四季》連作は、同時代の政治的な変革のなかで、自由という希望に導かれた人間の一生によって「世界」を捉えようとした画家の思想が色濃く反映された作品として読むことが可能であろう。4.下村観山と原三溪にみる作家と支援者の関係発表者:財団法人三溪園保勝会 学芸員 清 水   緑障がないような環境を整えたことなど、画家としての環境作りにも及んだ。本発表では、そのような三溪の支援について、観山作品の所蔵の経緯や、依頼画の内容を検討し、観山の日記をもとに、三溪との具体的な関係を探り、近代作家と支援者の関係の一端を明らかにするものである。まず、観山作品の三溪旧蔵品については、三溪の『美術品買入覚』5冊、所蔵品目明治から昭和初めに活躍した近代日本画家・下村観山(1873〜1930)は、当時、現代でもなお注目度の高い横山大観以上の評価を受け、着実に大家としての地位を築いた。その背景には、優れた確かな描写力のほか、岡倉天心との出会い、政治家・実業家による後援会の存在、そして、パトロン・原三溪(1868〜1939)の支援があったからと言える。特に三溪の支援は、多くの作品を買上げたほか、所有地を提供し、制作に支

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