―24―② 有職文様の形成と展開に関する研究れる。1880年代後半に華々しく登場するフェノロサ・岡倉天心の活動や、1900年前後の官制史編纂状況に着目しがちであった近年の日本美術史学史研究に、その前史への新たな観点と資料を提供することができるだろう。研 究 者:東京国立博物館 研究員 猪 熊 兼 樹従来、有職文様の図様の形成については、中国の唐代美術が奈良時代の日本に伝わった工芸意匠が、やがて平安後期頃になると王朝貴族の美意識に基づいて、日本独自の展開を遂げたように理解されてきた。この背景には、平安後期美術の和様化という日本美術史上の文脈が工芸意匠についても援用されてきたものと考える。しかるに近年の日本美術史と中国美術史との関係についての研究成果は、平安後期美術のなかに併行期の宋代美術や遼代美術の要素を検出しており、和様化という現象についても、日本独自の展開という意味内容ばかりでは理解し難くなってきている。遣隋使や遣唐使に代表された日中交流は、遣唐使廃止後にも日宋貿易のかたちで引き続き、日本の美術様式に影響を与え続けていたものと理解される。しかしながら、同じく中国美術に取材するとしても、奈良時代の美術と平安後期美術とのあいだには、その受容態度に相違する点が認められる。奈良時代美術には唐代美術との同一性志向が見受けられるのに対し、平安後期美術には必ずしも宋代や遼代の美術との同一性志向が認められない様子もある。この受容態度のなかに和様化という現象を理解する手がかりがあるものと予想される。はたして有職文様については、宮廷礼法のなかで用いられる工芸意匠が中心となり、宮廷美術における奈良時代から平安後期にかけての様式展開や中国美術の受容態度の変化が反映するので、この変化を観察することによって和様化の性質の一端を検討しうるものと考える。かかる作業を経ることによって、日本美術史における有職文様の位置付けを行なう。
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