鹿島美術研究 年報第26号
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―25―③ 内畠暁園について ―近代京都画壇から見た画業―④ フランソワ・ブーシェによる王立ボーヴェ製作所のタピスリー連作〈神々の愛〉につ研 究 者:関西学院大学 非常勤講師  上 田   文本調査研究の目的は、現在全く知られることのない内畠暁園という画家を、彼の活躍した明治30年代の京都画壇の中に置き直してみることである。現在、京都における美術研究では取り上げられることのない、この画家の生涯と作品を画壇の中に据えて考えてみることは、暁園を京都画壇において顕彰するだけでなく竹内栖鳳塾のあり方、当時の京都画壇の方向性を考える上でも意義あることと考える。暁園と同じように田舎から出てきた土田麥僊や小野竹喬のように京都に根を下ろし一生画壇で活躍した人々の背後には、成功できなかった画家が多数あったであろう。そういった人たちの引退の原因は様々であるだろうが、本研究では暁園という画家について考えてみたい。今まで、美術作品研究は、成功した新しい動きを示した作品を中心に進められてきた。それらの制作の意味を問い直す上でも、明治30年代の京都画壇で意義ある活躍を見せた、無名の画家を取り上げることは重要であると考える。内畠暁園の人生と京都での画業が明らかになることによって、郷里に残された作品が今まで以上に価値あるものとなることを願っている。これまで筆者が研究対象として取り上げてきた土田麥僊のように明治末から大正、昭和まで華々しく活躍した京都画壇の光の面と、今回取り上げようとする内畠暁園のように郷里で寂しく人生を終えた画家の陰の部分の両方を考察することは、近代日本美術における京都画壇研究の幅を広げ厚みを加える上でも意義あるものと思う。より幅広く厚みを持った京都画壇研究を行うことによって、近代とは何かをより深く問うことが、今後の課題であり構想である。いて研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程  小 林 亜起子この調査研究は現在執筆中の博士論文「フランソワ・ブーシェのデザイン:ボーヴェ製作所のタピスリー研究」の枠組みのなかで構想されたものである。そこで以下、先行研究の現状を示した後、博士論文および本調査研究の構想とそれが目指すところ

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