鹿島美術研究 年報第26号
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―17世紀オランダ「黄金時代」の継承と革新――26―⑤ 17世紀末から18世紀前半のオランダ風俗画研究を提示したい。ブーシェの研究史では、これまで絵画、素描に関する研究が重ねられてきた。しかしながら、タピスリー・デザイナーとしての活動については、その重要性が常に指摘されるにもかかわらず、包括的な研究がなされていない。タピスリー・デザイナーとしてのブーシェのキャリアは、大きくふたつの時期に分けられる。すなわち画業初期にあたる1734年から1755年間に王立ボーヴェ製作所の下絵を手がけた前半期と、1750年代から晩年までの王立ゴブラン製作所のデザイナーとして活躍した後半期である。ボーヴェ製作所のタピスリーについては、ジュール・バダン(1909)による研究以来、詳細な研究がなされておらず、ブーシェのタピスリーについては、前述のスタンデンによる研究がなされる程度である。そこで博士論文ではブーシェのボーヴェ製作所のための6つの連作―《イタリアの祭》(1736)、《プシュケの物語》(1741)、《中国主題のタピスリー》(1743)、《神々の愛》(1748)、《オペラの断章》(1752)、《高貴なパストラル》(1755)―を考察対象とし、ブーシェの装飾デザイナーとしてのキャリアを綿密に跡づけ、各作品について様式的・図像的観点から細註に考察することを試みる。したがって、連作《神々の愛》を研究対象とした本調査研究の目的は、博士論文のそれと同じく、研究史における重要な欠落をなすブーシェによるタピスリーについて、新たな知見を提示することである。タピスリー研究は一般的にマイナーな研究領域であると見なされがちだが、装飾美術が絵画・彫刻を凌駕する重要性を有したロココ時代の美術史研究において、きわめて大きな意義をもつものと考える。研 究 者:アムステルダム大学大学院 文学研究科 契約専任研究助手近年のオランダ美術史研究において、レンブラントやフェルメールを輩出した17世紀最盛期の美術のみを重視する立場は見直され、かつては衰退期として一蹴された17世紀末以降の芸術が様々な側面から再評価されてきた。そのなかでも注目すべきは、この17世紀末から18世紀前半という過渡期を、17世紀盛期オランダ美術をはじめて意青 野 純 子

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