鹿島美術研究 年報第26号
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―27―⑥ 横山大観筆《無我》と課題制作に関する研究識的に「受容」した時代と見なす観点である。たとえば、アーノルド・ハウブラーケンやヤン・ファン・ホールによるオランダ画家の列伝記、ヘラルト・デ・ライレッセの絵画理論といった18世紀初期の文献では、最盛期には語られなかった17世紀オランダ美術の特質が定義されはじめる。また、当時の絵画競売システムの成熟を背景に、17世紀オランダ絵画は国内外で盛んに売買され、その市場価値を高めていた。つまり、当時の理論家や批評家、コレクターは、最盛期のオランダ美術を自らの時代の美術と区別し、栄光の世紀の賜物として賞賛し、熱心に収集しはじめていたと考えられるのである。そこで本研究が問うのは、こうした時代状況において、画家たちが17世紀先駆者の絵画作品をどのように受容し、そこから何を選択し、刷新したのかである。すなわち、18世紀初頭、画家が17世紀オランダ黄金時代の遺産を享受するだけでなく、絵画制作という行為を通じて、その「歴史化(historization)」と「規範化(canonization)」のプロセスにどのような役割を果たしたのかを明らかにするのである。さらに、17世紀オランダ市民社会で成功を収めた絵画ジャンルのひとつ、風俗画の「変容」の分析は、オランダ美術とは何かという歴史的枠組みの再考にも寄与する。18世紀オランダ風俗画は、当時の17世紀風俗画の熱狂的な人気を背景に、その絵画伝統を継続する傾向にあったが、一方で、当時の物語画において主流を占めた古典主義への適応が求められていた。つまり、ここには、オランダ市民の日常を写実的に描いた風俗画と、古代の理想美を規範とするフランス古典主義との一種の折衷が見られるのである。こうした風俗画の「変容」の過程においてこそ、当時、17世紀オランダ美術のどの側面が「オランダらしさ」として認識されたのかが浮き彫りになるのであり、その考察は、今日まで変遷したオランダ美術観の原点への洞察を深めるだろう。研 究 者:東京国立博物館 任期付研究員  植 田 彩芳子本研究は、岡倉天心の指導下で行なわれた課題制作を、宋代画院の影響という視点から取り上げる初の研究である。課題制作は、岡倉天心の理想主義の一貫として、東京美術学校と日本美術院で行なわれてきた。この課題制作のみに焦点を絞った研究はあまり見られないが、朦朧体との関係から考察した佐藤道信氏の研究は、課題制作と岡倉天心の理想主義とを関連づける研究として注目される。また、明治中期の理想主

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