鹿島美術研究 年報第26号
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―30―⑨ 郎世寧の皇帝・皇后・皇妃・皇嬪の肖像画について本研究は、まず、第二世日本人である立石鉄臣(1905−1980)と、台湾の嘉義に生まれた陳澄波(1895−1947)の作品に焦点を絞って、比較検討を行う。立石鉄臣と陳澄波はともに戦前の台湾画壇を代表する風景画家であり、また、両者ともに東アジアの複数の国で生活した経験を通じて、故郷に対する意識が徐々に芽生えていったと考えられる点も注目される。彼らの描いた台湾風景の中には、どのような意味合いが含まれるのかを「故郷」という視点から考察したい。さらに、この研究調査では立石鉄臣と同じ第二世日本人の作品、および陳澄波周辺の台湾人の作品も、併せて考える予定である。研 究 者:武蔵野美術大学 非常勤講師  王     凱① 目的郎世寧の残した膨大な数の作品及び歴史文献の中で彼の生涯をたどっていくことで、作品年代及び収蔵場所を整理していくことができる。先行研究として日本人を含む何人かが彼について調査研究したものがあるが、様々な問題が残されていることは事実である。この研究において、彼の絵画の特質などを取り上げることで、かつての研究と議論を補強していく目的がある。② 価値郎世寧は清朝宮廷の中で精一杯働き、大量の作品を残した。その作品の変化には、単なる西洋画法の変容ではなく、西洋人としての内面的美意識の変容が認められる。それは、彼が受動的だけではなく、自主的に「紫禁城」で培ったものであった。彼の業績による、中国美術史上初めての西洋絵画との融合は、深い意義をもっている。皇帝の寵愛と関心の下で、東西折衷の技法を強制された郎世寧は、東洋の線と西洋の明暗の問題を克服しなければならなかった。中国人の道徳精神にとって、影というものは不祥のものであるため、絵画表現では捨て去らなければならず、彼はそれを克服した。様々な資料と文献を調査しながら、彼の絵画の東西美術交流史の中での重要性を位置づけていく。

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