―31―⑩《大洪水の情景》を中心とするジロデの「歴史画」作例の再検討研 究 者:兵庫県立美術館 学芸員 小 林 公アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン(1767−1824)はダヴィッドやアングルなどが代表する新古典主義の画家の中でも、ロマン主義的な気風を色濃く持った異色の存在として、特にこの20年程多くの関心を集めている。2005年から2007年にかけて、フランス、アメリカ、カナダで開催された国際巡回展は近年の研究の成果を示す画期的なものであったが、その「ジロデ ロマン主義者にして反逆者」という展覧会名もまた、二つの様式をつなぐ存在としてこの画家に重要性を与えていることを示している。稿者はこれまで、ジロデを研究する際に、新古典主義、ロマン主義という様式論を用いることは避けてきた。これはロマン主義を様式として定義することが極めて困難であるためであり、さらに重要なのは、様式論においては前述の二つの様式が現れた当時の画家たちにとって、避けて通ることの出来ない絵画ジャンルのヒエラルキーの問題が二次的なものにとどまらざるを得ないからである。このため、稿者はジロデの作品とその制作態度を、歴史画家という画家の立場から検討することを試みてきた。有力なパトロンの存在を前提とする歴史画は、革命以降現実社会におけるありようの変質を余儀なくされた。こうした現実の状況下にあって歴史画は理念の上では最高位のジャンルでありつづけ、そのため歴史画家たちは自意識のありようの変節を迫られ、場合によってはこのジャンルの定義を恣意的に読み替えるといった戦略すら試みられることとなった。18世紀末から19世紀末初頭において生じた歴史画の危機に対して、歴史画家たちがどのように対処したのか。生涯歴史画家であることに自負を抱きつづけたジロデの作品と制作背景を検討することで、この問題を明らかにすることが本研究の目的である。ジロデ作品に対する同時代の批評家たちの反応は、画家が作品を通して示した歴史画観が、伝統的なこのジャンルの定義と齟齬をきたすものであったことを明らかにしてくれるだろう。
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