鹿島美術研究 年報第26号
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―35―⑮ 近代日本における戦争の表象の研究術としていかにあるべきかが、様々な機会に論じられている。一つには、工芸特有の課題である「技術」をいかに評価し、表現に取り入れるかという問題があった。また初期の帝展で幾度も議論を巻き起こした工芸の代作問題がある。分業制作を不純として糾弾する東京勢に対し、京都の陶芸家の間では分業制作の意義を認める者もおり、東西で対照的な態度が見られるようである。一方、染織の分野では帝展参入を契機に、図案から制作まで一人の作家が一貫して行う傾向が強まるというのも京都の特性であった。次に帝展の出品作に着目し、作品を「美術」たらしめるのに重要な役割を果たした展覧会という場を考える。例えば工芸の「用」がもたらす形は、展覧会が要請する芸術性や視覚性の前ではどのような様相を見せたか。また会場での展示効果や他作品との差異の意識が制作の動機となるようにもなる。京都の陶芸家の間では、新技法の開拓が、差異化を図るのに一つの有効な手段となったようだし、漆工では、アール・デコや構成主義などの西欧の新様式を取り入れることで、独自性を獲得しようとする例が見られる。美術展覧会という場が、工芸家らに最新の美術の動向への関心を喚起させ、また自らの扱う素材や技法への関心を促し、それらを表現の基軸へと導きいれる契機となったようである。このような点を鑑みつつ、本研究では、帝展参入が京都の工芸家をいかに動機づけ、その表現に影響を与えたか、また、帝展が京都の工芸界にいかなる変化をもたらしたかを解明したい。工芸が美術となる道を模索する過程で何が問われ、求められたかを追究することは、現在もなお定義の定まらぬ工芸という分野を問い直す契機にもなろう。研 究 者:静岡県立美術館 学芸員  村 上   敬本研究は、近代日本の雑誌や新聞に登場した挿画等の視覚イメージをモチーフとして「戦争の表象」を考察しようとするものである。この研究によって当時の一般大衆が求めマスコミ媒体が提供した戦争のイメージが明らかになるとともに、同時代の展覧会美術や芸術文化一般を考察するための足掛かりが構築されるという意義を申請者は構想している。

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