鹿島美術研究 年報第26号
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―36―⑯ 伊藤若冲の伝記に関する研究 ―新史料を中心に―それではなぜ、「戦争」の表象を研究の対象とするのか。それは戦争が同時代の政治状況を端的に反映するものであるとともに、一般市民にとっても最大の事件だからである。戦争は戦勝国にも敗戦国にも多くの災厄と苦難をもたらすものであるが、そこには知的リソースと社会的関心が集中している。視覚芸術を通して文化を理解しようとする美術史学において、重要なモチーフたる資格を持つゆえんである。また、「戦争画」を巡る議論は近年、日本近代美術史上の大きな問題として浮上してもいる。先般(平成18年)東京・京都の国立近代美術館と広島県立美術館にて開催された「藤田嗣治展」においては、いままで半ばタブー視されてきた藤田の戦争記録画が一室に展示され、その画業における意味づけが試みられた。本研究は、こういった作家個人を対象とした調査研究をさらに一歩すすめ、大衆的視覚イメージから当時の社会状況を考察することを目標としている。研 究 者:静岡県立美術館 学芸員  福 士 雄 也本研究の目的は、伊藤若冲(1716−1800)に関する新たな史料、すなわち『京都錦小路青物市場記録』の調査を行い、若冲伝記史料の一つとして提示することにある。若冲伝に関しては、これまで大典『小雲棲稿』所載の「藤景和画記」がもっとも基本的な史料とされてきた。この史料は、若冲と生涯交遊を保った人物による記述として重視され、若冲作品について論じる様々な言説の中でもしばしば取り上げられてきた。この史料のもつ重要性は改めて述べるまでもないが、それが純粋な意味での伝記とは性質を異にする点も指摘されている。つまり、著名な中国画人伝になぞらえたと思われる部分も確認されているのである。一方、このほかにも森銑三氏紹介の『蕉斎筆記』等いくつかの史料が知られているが、その内容が伝聞によるものもあって、それらすべてが重視され取り上げられているわけではない。しかし、本史料はそれ自体の価値はもとより、そうした既存の断片的史料を再検討する必要を迫るものであるところにも大きな価値がある。複数の史料を検討することにより、これまで見過ごされてきた事実が浮かび上がってくるのではないかと思う。さらに、本史料の調査がすでに知られている作品解釈へと繋がっていくことも期待

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