鹿島美術研究 年報第26号
52/96

―37―⑰ 幕末期の書画鑑定会合 ―『鑑定記』を中心に―される。作品・史料ともに乏しい安永〜天明年間の若冲の動向が明らかになれば、天明以降の画風変化を理解する大きな助けとなろう。研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程  佐 藤   温今回検討する『鑑定記』には、約7年の間に大名から市井の画家、鑑定業者の古筆家に至るまで多様な参加者のもと2000点以上に及ぶ書画の鑑定が行われた様子が記録されており、本研究はこうした幕末期の書画鑑定の実態の解明を試みるものである。既存の研究では、例えば古筆切研究の一部として近世の古筆家の権威による鑑定に触れたものなどは見受けられるが、書画の鑑定についてその主体や対象となった作品、及び鑑定の行われた場や制度について言及したものは殆ど存在しない。しかし、これまでの基礎研究から幕末期には文人たちが集う場で、書画が展観のみならず鑑定の対象とされ、参加者が個々の見識に基づいて真贋判断や制作年代及び作者の推定などを行っていたという状況が見えつつあり、本研究はそれをより具体的に提示するものである。また、『鑑定記』は様々な階層の人々が集う中で落款を隠した書画を前に各人が作者推定を行うという会合の状況を、参加者名や持参された作品名といった具体的情報とともに記した貴重な資料である。ここからは各作品の所蔵状況に加え、作品の流通や価値付けといった当時の書画市場の動向をも確認することが可能であると考えられる。特に文人の会合という場に鑑定が組み込まれる点は、広く書画が流通及び売買の対象とされ市場が拡大していく状況の反映であると考えられ、作者及び作品に対する評価が成立していく場に文人たちが関与していたことを示す点でも新たな展開が期待される。また、そのことは同時に書画鑑定をめぐる権威や特権のあり方にも変化が生じていた可能性を示すものであり、古筆家ら職業鑑定家のあり方を検討する上でも重要な示唆を与えるものと考えられる。近年の研究において幕末期の書画受容の高まりはその担い手たる文人たちの動向と合わせて注目されつつあるが、本研究はそこに以上のような鑑定という視点を持ち込むことによって受容の新たな側面を明らかにする点で意義を有すると考えられる。

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る