鹿島美術研究 年報第26号
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―39―⑳ 国宝・光琳筆「紅白梅図屏風」の技法・材料に関する光学的研究近世の人的ネットワークを含む広範な視野を持った研究が可能となるテーマと考える。治宝を巡る画家としては、藩のお抱え絵師や紀州出身の画家はもちろん、谷文晁(1763〜1840)、淵上旭江といった紀州に限定しない、当時の実景図、浮世絵にまで広く影響を与えた画家をも対象とし得る。さらに治宝について特筆すべきことは、姻戚関係にある松平定信(治宝の正室は定信の妹)の存在や、『蒹葭堂日記』より窺える大坂を代表する文人・木村蒹葭堂(1736〜1802)との交流である。こうした時代を代表する人物との交流を持つ治宝を巡る実景図の様相を明確にすることは、江戸時代絵画史を考える上でも重要であろう。また治宝を支える藩内の人物については、既に調査を始めている「紀州家中系譜並に親類書書上」(和歌山県立文書館蔵)をさらに繙くことにより、より詳細な状況把握が可能であると考える。本研究で特に着目する画家は、桑山玉洲と淵上旭江である。両者はそれぞれ日本の実景を如何に絵画化するかを説いた「真景論」や『山水奇観』の画家としてのみ捉えられることが多く、作品自体の考察は未だ不十分である。両者の制作姿勢を実証的に追究し、近世の実景図制作の重要な一例として提示したい。以上のように本研究では、近世紀州を中心に、治宝の人的ネットワークの広さを考慮に入れつつ、藩内の人物の果たした役割を明確化し、その状況下で制作された絵画作品を詳細に分析する。それが、近世大名文化における実景図の享受の実態を明らかにすることに繋がると申請者は考える。研 究 者:MOA美術館 副館長兼学芸部長  内 田 篤 呉2003年度に実施した科学的調査では、MOA美術館と東京文化財研究所という枠組みで調査を実施したため、蛍光X線分析、高精細デジタル画像分析、透過X線分析の調査に止まった。しかし、その時点において、金箔と考えられていた金地が金箔ではないという美術史の常識を覆す提言がなされた。現在、有機色料の科学的調査、伝統工芸の技術者による復元模写を実施している。これに加えて、国立科学博物館(地学研究部鉱床科学研究グループ長・横山一己氏)の協力による光学的研究は、金箔の技法解明に新しい調査方法をもたらし、金箔問題

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