鹿島美術研究 年報第26号
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7前衛と古典 ―20世紀イタリア芸術における「過去の美術」と画家による美術史的―40―「伝統への回帰」に関する研究は著しく遅れてきた。またモダニズムを信条とするコやUccelloら)の作品研究の成果である。の解明に繋がる結果が得られると期待している。このような材料と技法の解明は、現状とは異なる作品の様式や別の一面を浮かび上がらせ、制作当時における光琳の意義や試みなどがより立体的に見えると推測される。さらに紅白梅図屏風の流水部分の材質が藍であれば、その主題に関する解釈についても新しい見解が生まれると推測され、本屏風の本質に迫ることができると考えている。嘗て、岡倉天心が光琳芸術の特色を「画と模様との区別をなくせしこと、非常の大事業なり」と評したが、紅白梅図屏風の制作技法の解明による新たな知見は、絵画と工芸に関わる日本美術の本質的な問題を提起するものと期待している。言説に関する研究―研 究 者:国立新美術館 研究補佐員  阿 部 真 弓1920年代のイタリア美術、なかでもノヴェチェント派は、ファシズム体制の台頭と安定期と重なり、文化戦略にも利用された。このために、村田宏氏が指摘するように、ンテクストにおいて(MOMAを代表とする)欠落していたことを理由として、画家たちが古典と過去の美術の探究の中から汲み出そうとした、もうひとつの近代性の存在は、十分に論じ尽されてこなかった。本研究はこの時代の美術と文化状況に関する、より実証的な研究の成果を提示する。カルロ・カルラとアルデンゴ・ソフィッチの往復書簡、G. セヴェリーニの著作、デ・キリコの文章に見いだされるのは、前衛のまだ新しい記憶と古典主義への傾倒の間で、普遍的な「秩序」や「造形価値」を探究しながら、葛藤のうちに、独自にたどるべきポスト・アヴァンギャルドの美学を生みだしてゆく試行錯誤の過程である。特徴的であるのは、造形的探究と並行して、画家ら自らが美術史の解釈を提示しようとした点であり、Valori Plastici誌による数々の画家らによるモノグラフィー出版にも注目し、本研究ではこの点に重点をおきたい。たとえばデ・キリコにおいては、作品とテクストにおいてヨーロッパ近代美術史を見直すという企図が問題であり続けた。カルラのタブローに見られる、古典的で現代的な静謐さの表現は、過去の巨匠(Giotto

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